妹尾 隆一郎(せのお りゅういちろう、1949年6月17日 - 2017年12月17日[1])は、日本のハーモニカ奏者。別名ウィーピング・ハープ・セノオ。ブルースハーモニカの分野では日本を代表するミュージシャンである。大阪市西淀川区生まれ。10代を兵庫県宝塚市で過ごす。長男はクリエイターのStaこと妹尾泰隆[1]。
人物
大阪教育大附属高校池田校舎時代からバンド活動を始める(ベース担当)。後輩に伊藤銀次がおり、当時ビートルズのコピーバンドで、ベースを弾きながら歌えた人間は少なかったとの証言がある。中央大学商学部に入学し上京。フォークソング研究会に入る。中大フォー研在籍時、サニー・テリー、ポール・バターフィールド、ミシシッピ・ジョン・ハートなどを知り、ハーモニカに興味を持ち、その後黒人ブルースとハーモニカにのめり込んで行く。1972年、B.B.キング来日時には前座で出演。1973年、西新宿にあったmagasine No.1/2でのライブアルバム『Live in magazine No.1/2』に参加。「ジン・ハウス・ブルース」を録音。1974年9月、「レイジー・キム・ブルース・バンド」「オフ・ザ・ウォール」を経て「ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター」を結成。同年、久保田麻琴と夕焼け楽団のレコーディングセッションに参加。
1976年8月、1stアルバム『メッシン・アラウンド』を発表。内田勘太郎、近藤房之助、尾関隆など日本の第一線のブルース・ミュージシャンが結集したこのアルバムは、ブルース・アルバムとしては予想を大きく上回る好セールスを記録。翌1977年、2ndアルバム『ブギ・タイム』を発表。渡辺香津美、村上秀一、泉谷しげるなど、1stアルバム同様豪華なミュージシャンたちを迎え、自作曲も発表した。その後も精力的に活動し、全国のライブハウスを行脚。様々なコンサートなどを企画。また、自らハーモニカ教室も開き、後進の育成にも力を注いでいる。
週刊モーニングの連載マンガ「Hey!!ブルースマン」(山本おさむ)には尾崎龍太郎として登場している。
2008年、西濱哲雄との「てっちゃんせのちゃん」、森園勝敏(ex四人囃子)、塩次伸二(ウエスト・ロード・ブルース・バンド)らとのユニットで精力的に日本をツアーしている。
2017年12月17日22時10分、胃癌と腸閉塞のため入院していた、淀川キリスト教病院(大阪市東淀川区)で死去[1][2]。 68歳没。
2018年 生前の功績を讃え、有志によるお別れの会「ブルースをよろしく!ありがとう妹尾隆一郎」が東京・京都・大阪で開かれた。
アルバム
妹尾隆一郎
- 『メッシン・アラウンド』(ビクター・フライングドッグ)
- 『ブギ・タイム』(ビクター・フライングドッグ)
以上2枚はPヴァインでCD化の後、ビクターから紙ジャケットで再発。
- 『ONE MORE MILE』(BLACK BOX INC.)
ローラーコースター
- 『ザッツ・ナッシング・ニュー』(VIVID Sound)
- 『キープ・イット・アップ』(VIVID Sound)
- 『ブギー・ディスカウンター』(VIVID Sound)
- 『サムシング・フォー・リトル・ウォルター』(VIVID Sound)
- 『キープ・オン・ゴーイン』(Pヴァイン)
BLUES FILE
- 『ブルースファイル遊び足りない子どもたちへ』(Airplane)
- 『Hey!BluesMan』
- 『ライヴ・イン・ヒロサキ』
Seno-Tera
デイブレイク
- 『デイブレイク』(ラジオシティ)※フュージョン・バンド
V.A.
- 『Year! The Blues』(ビクター/近藤房之助 他)
(加筆中)
- 「My Last Meal/ I'm Still In Love With You」(Year)
※ピクチャーシングル(ローラーコースター、吾妻光良、チャールズ清水)
・『Live in magazine No.1/2』(限定500枚自主制作)
教則ビデオDVD
- ベーシック・ブルースハープ
- プロフェッショナル・ブルースハープ
- ブルース・ハープ・ベーシック・フレージング
- ブルースハープの常套句
(いずれもリットー・ミュージック)
参加レコーディング・参加セッション
共演・録音
サウンドトラック
(加筆中)
外部リンク
脚注