妙覚寺 (稲城市)
妙覚寺(みょうかくじ)は、東京都稲城市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号は雲騰山。本尊は釈迦牟尼仏。 概要臨済宗建長寺派に属する禅林で、建長寺の末寺に当たる。準西国稲毛三十三所観音霊場5番札所[3]、多摩川三十四ケ所観音霊場第22番札所[4]。秘仏である十一面観世音菩薩は午年のみ開帳される[3]。 山寺号は「雲騰山妙覚寺」だが、参道脇の寺名を記した石柱には「雲騰山 妙覺禅寺」と彫られている。 歴史『稲城町誌』によると、当寺所蔵の過去帳に「当山開基万松院 天文十九庚戌五月四日[注釈 1]」「開山陽雲讃和尚 永禄四辛酉四月廿三日[注釈 2]」とあり、「開基万松院」は室町幕府第12代征夷大将軍・足利義晴の法号「万松院曄山道照」を指す。「開山陽雲」は当寺の南東約1km、川崎市多摩区菅仙谷にある寿福寺の住持である陽雲を指し、当寺は寿福寺の住持陽雲が退隠所(隠居寺)として建てたもので、寿福寺が関東公方足利氏満の外護で再興したため、足利義晴を開基としたとする[5]。また『多摩の歴史 5』も『稲城町誌』を参考資料として同様に記している[6]。 なお『新編武蔵風土記稿』巻之九十五「多磨郡之七 府中領」では寺号を「明覺寺(明覚寺)」、除地七畝八歩(約720.66m2)、山号を「雲登山」、橘樹郡菅村壽福寺(寿福寺)末と記し[7]、『江戸名所図会』天璣之部では「 矢野口笹久保栄一家蔵の由来記には、建長明月院の秀岩禅師に伝来した高野大師(空海)作の霊像が、秀岩師から福山広徳庵の海会老師を経て当山に付受され、再興檀越当郷角田氏某が、鎌倉の扇ヶ谷に居住する古仏師運慶の遠縁三橋氏某に命じて十一面の新像を造らせ、右の小像を胎内に秘蔵して令法久住の守護として安置したと伝わる[9]。胎内仏は高さ7.8cmの一木造立像で、鎌倉時代の作と認められる[9]。 『建長寺史 末寺編』によると、本尊は釈迦牟尼仏、開山は陽雲法讃禅師(寿福寺6世)、開基は足利12代将軍足利義晴とし、開創年月は室町時代だが年月不詳とする[10]。また11世廬山和尚を中興とする[11]。境内地は673.62坪(約2226.8m2)、建造物は本堂36.5坪(約120.7m2)、庫裡49.55坪(約163.8m2)、観音堂6.45坪(約21.3m2)、鐘楼2.25坪(7.4m2)、石門とする[11]。 元禄13年(1700年)、当領主の加藤太郎左衛門藤原甫成が中興開基となり殿堂を修復したが、寛政元年(1789年)7月中旬に火災により諸堂宇が灰燼に帰した。その後、寛政8年(1796年)に再興して現在に至る[11]。宝物は本尊釈迦牟尼仏、十一面観世音(鎌倉初期作)、大般若600巻(50巻余の外毛筆書)、十六善神1軸(江戸時代)[12]。 歴代住職
文化財
交通アクセス
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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