大炊御門経光
大炊御門 経光(おおいのみかど つねみつ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿。左大臣・大炊御門経孝の子。官位は従一位・左大臣。大炊御門家20代当主。主に後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)に仕えた。 経歴正保2年(1645年)に叙爵。以降累進し、万治2年(1659年)従三位に叙され公卿に列した。万治3年(1660年)に権中納言。寛文3年(1663年)に正三位権大納言・神宮伝奏となる。寛文4年(1664年)には踏歌節会外弁。延宝3年(1675年)には右近衛大将となり、延宝6年(1678年)まで在職。 延宝5年(1677年)には内大臣となり、天和元年(1681年)まで在職した。延宝8年(1680年)には踏歌節会内弁。元禄3年(1690年)右大臣に任じられるが、翌年辞職。元禄5年(1692年)には従一位に昇進。宝永元年(1704年)には左大臣になるもすぐに辞職した。 系譜 |