大炊御門信名
大炊御門 信名(おおいのみかど のぶな)は、江戸時代前期の廷臣。 概要主に霊元天皇(112代)に仕え、官位は正四位下左近衛中将まで進んだ。父は太政大臣近衛基熙。母は品宮常子内親王(後水尾天皇皇女)。養父は左大臣。同母兄に関白近衛家熙、同母姉に熙子(徳川家宣室)、妹に脩子(閑院宮直仁親王妃)がいる。幼名は直君。 来歴近衛家の二男として生まれる。幼いころより病弱であったことが、母常子内親王の日記(无上法院殿御日記)より知られる。詳しい理由は分からないが、養父・経光の実子は、内藤義恭という人物の養子に入り、内藤義竜となっており、大炊御門家の嫡男がいなくなったため、天和2年(1682年)、信名が大炊御門家に養子に入ることとなった。天和4年(1684年)1月27日、中将となる。しかし同年10月14日に死去。享年16。 大炊御門家は内藤義竜の子経音が養子に入って継いだ。 家族系譜大炊御門家大炊御門家は、藤原師実の子である藤原経実を始祖とし、清華家の一つであった。 →詳細は「大炊御門家」を参照
近衞家近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つであった。 →詳細は「近衛家」を参照
皇室との関係後陽成天皇の男系四世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の男系後裔。
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