大浪 妙博(おおなみ たえひろ、1908年9月1日 - 1985年7月7日[1])は、秋田県南秋田郡戸賀村出身[2]で高島部屋に所属した力士。本名は石川 三治。187cm、101kg。最高位は東前頭3枚目。
経歴
1926年5月場所初土俵、1932年2月場所春秋園事件により幸運な十両昇進。十両では新十両の場所で8戦全勝優勝を果たすなど負け越しがなく、翌1933年1月に新入幕を果たした。連続6場所幕内を務めたのち、一度十両に陥落したが、再度十両優勝を果たしている(1936年1月場所)。1936年5月に再入幕、1940年1月場所には最高位である東前頭3枚目に進出、同年5月場所では横綱男女ノ川を倒して金星を獲得したが、翌1941年1月場所を全休してそのまま廃業した[要出典]。
左四つの吊り寄り、投げのほかに足取りを得意とし、けいこ場では双葉山も手こずったといわれている。
長身で手足が長く、顔も大きかった特徴のある力士で「強いのか弱いのか判らない不思議な力士」と評された。同部屋で同期生の巴潟は小兵でけいこ熱心だったのに対し、大柄な大浪はけいこ嫌いと好対照であった。また、戦後の幕内力士七ッ海は、容姿や取り口などが大浪に似ていた。
1948年の講道館機関誌『柔道』で玉嶺生は外小股について、大浪がよくやった、と述べている[3]。
1985年に76歳で没した。
成績
- 幕内16場所82勝103敗15休
- 十両優勝2回、金星1(男女ノ川)。
場所別成績
大浪妙博
|
春場所 |
三月場所 |
夏場所 |
秋場所 |
1926年 (大正15年) |
x |
x |
(前相撲) |
x |
1927年 (昭和2年) |
西序ノ口22枚目 3–3 |
西序ノ口22枚目 5–1 |
東序二段55枚目 4–2 |
東序二段29枚目 0–0–6 |
1928年 (昭和3年) |
西序二段18枚目 4–2 |
東序二段47枚目 4–2 |
東三段目37枚目 3–3 |
東三段目37枚目 4–2 |
1929年 (昭和4年) |
西三段目10枚目 4–2 |
西三段目10枚目 4–2 |
西幕下24枚目 3–3 |
西幕下24枚目 3–3 |
1930年 (昭和5年) |
東幕下19枚目 3–3 |
東幕下19枚目 2–4 |
西幕下34枚目 5–1 |
西幕下34枚目 4–2 |
1931年 (昭和6年) |
東幕下10枚目 3–3 |
東幕下10枚目 3–3 |
西幕下10枚目 2–4 |
西幕下10枚目 4–2 |
1932年 (昭和7年) |
東十両8枚目 優勝 8–0 |
東十両8枚目 5–5 |
東十両筆頭 6–5 |
東十両筆頭 7–4 |
1933年 (昭和8年) |
東前頭4枚目 4–7 |
x |
西前頭13枚目 7–4 |
x |
1934年 (昭和9年) |
西前頭6枚目 4–7 |
x |
東前頭12枚目 6–5 |
x |
1935年 (昭和10年) |
東前頭10枚目 4–7 |
x |
西前頭14枚目 3–8 |
x |
1936年 (昭和11年) |
西十両2枚目 優勝 10–1 |
x |
東前頭12枚目 5–6 |
x |
1937年 (昭和12年) |
東前頭13枚目 5–6 |
x |
東前頭15枚目 7–6 |
x |
1938年 (昭和13年) |
東前頭8枚目 5–8 |
x |
東前頭15枚目 7–6 |
x |
1939年 (昭和14年) |
西前頭7枚目 5–8 |
x |
東前頭12枚目 9–6 |
x |
1940年 (昭和15年) |
東前頭3枚目 4–11 |
x |
東前頭10枚目 7–8 ★ |
x |
1941年 (昭和16年) |
西前頭3枚目 引退 0–0–15 |
x |
x |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝の数。
改名
梅林→大浪→大平山→大浪
[4]
出典
関連項目