三熊山 美夫(みくまやま よしお、1908年7月20日 - 没年不明[1])は、現在の兵庫県洲本市出身で中川部屋、武蔵川部屋、鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は小泉 美夫。167cm、102kg。最高位は西前頭12枚目。
経歴
1923年1月初土俵、1932年5月十両昇進。1936年1月新入幕。非力と評されながらも、ずんぐりとした体相当の相撲を見せ、評判はよかった。しかし幕内在位は3場所に終わり、1938年1月に廃業。廃業してからは消息が全く不明になっている。
四股名は故郷の山から。
大変器用な力士で、初っ切り・相撲甚句・弓取りと何でも務められたので巡業で重宝がられた。
成績
- 幕内3場所15勝20敗
- 通算18場所82勝69敗
- 幕下優勝1回、三段目優勝2回、序ノ口優勝1回
場所別成績
三熊山 美夫
|
春場所 |
三月場所 |
夏場所 |
秋場所 |
1923年 (大正12年) |
(前相撲) |
x |
(前相撲) |
x |
1924年 (大正13年) |
(前相撲) |
x |
東序ノ口17枚目 1–4 |
x |
---|
1925年 (大正14年) |
東序ノ口4枚目 優勝 6–0 |
x |
東序二段18枚目 5–1 |
x |
1926年 (大正15年) |
西三段目26枚目 2–4 |
x |
東三段目43枚目 3–3 |
x |
1927年 (昭和2年) |
西三段目44枚目 5–1 |
西三段目44枚目 3–3 |
西三段目12枚目 3–3 |
東三段目38枚目 0–0–6 |
1928年 (昭和3年) |
西三段目8枚目 1–5 |
東序二段12枚目 4–2 |
西三段目25枚目 3–3 |
西三段目25枚目 4–2 |
1929年 (昭和4年) |
西三段目4枚目 3–3 |
西三段目4枚目 3–3 |
西三段目筆頭 優勝 6–0 |
西三段目筆頭 優勝 6–0 |
1930年 (昭和5年) |
東幕下8枚目 2–4 |
東幕下8枚目 2–4 |
西幕下22枚目 2–3 |
西幕下22枚目 4–2 |
1931年 (昭和6年) |
東幕下17枚目 3–3 |
東幕下17枚目 1–5 |
西幕下32枚目 4–2 |
西幕下32枚目 2–4 |
1932年 (昭和7年) |
西幕下12枚目 優勝 7–1 |
西幕下12枚目 6–4 |
東十両10枚目 6–5 |
東十両10枚目 3–8 |
1933年 (昭和8年) |
西幕下6枚目 7–4 |
x |
東十両13枚目 3–8 |
x |
1934年 (昭和9年) |
西幕下3枚目 4–7 |
x |
東幕下13枚目 8–3 |
x |
1935年 (昭和10年) |
東十両11枚目 7–4 |
x |
東十両3枚目 8–3 |
x |
1936年 (昭和11年) |
東前頭14枚目 6–5 |
x |
西前頭12枚目 4–7 |
x |
1937年 (昭和12年) |
西十両筆頭 6–5 |
x |
東前頭17枚目 5–8 |
x |
1938年 (昭和13年) |
東十両3枚目 引退 1–12–0 |
x |
x |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名
改名歴なし
[2]
出典
関連項目