大津村(おおつむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村である。現在の島田市中心部に北接する地域にあたる。
地理
歴史
かつて野田、落合、大草、尾川の辺りは大津郷と呼ばれていたとされ、大津谷という通称が残る。『和名類聚抄』に「大津郷」の名が見られるが、天平年間(729年 - 749年)にはすでに存在していたと推定される[2]。平安時代後期は「大津御厨」(伊勢神宮の荘園)[3]であった。
千葉山には宝亀二年(771年)開創の智満寺があり、のち源頼朝が千葉介常胤を奉行として中興[4]。
行政の変遷
- 明治4年 - 後の大津村の村域には、落合村、大草村、野田村、尾川村と千葉山が存在した。
- 明治5年
- 戸籍法に関連して、後の大津村の村域は静岡県第61区または第80区に属した。
- 第61区:野田村、落合村、尾川村、千葉山、伊太村、相賀村、神座村、鵜網村、伊久美村
- 第80区:大草村、阿知ヶ谷村、岸村、東光寺村、御請新田、庄九郎新田、道悦島村
- 大区小区制に移行し、後の大津村の村域は静岡県第6大区11小区に含まれた。
- 第6大区11小区:落合村、大草村、野田村、尾川村、千葉山、相賀村、神座村、伊太村、鵜網村
- 1875年(明治8年) - 千葉山が千葉村に改置される。ただし、従来通り千葉山と書かれることもあった。
- 1879年(明治12年) - 郡区町村編制法が施行される。1886年時点では落合村に戸長役場を置き、落合村、大草村、野田村、尾川村、千葉村を管轄した。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、落合村、大草村、野田村、尾川村、千葉村が合併して大津村が発足する。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 島田市に編入され、廃止。
脚注
参考文献
関連項目