戸籍法
戸籍法(こせきほう、昭和22年12月22日法律第224号)は、各人の身分関係を明らかにするための戸籍の作成・手続に関する日本の法律である。 歴史1871年(明治4年)に制定されて以来、度々改正された。 大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)後の民法改正による家制度廃止に伴い、従来のものを全面改正し、現行戸籍法が制定された。1947年(昭和22年)12月22日に公布され、翌年1月1日に施行された。 2013年(平成25年)9月4日、婚外子相続差別訴訟で最高裁判所大法廷は民法で非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出の1/2とする規定に違憲判決を出した。民法の同規定は削除されることになったが、あわせて戸籍法第49条の嫡出・非嫡出記載条項の削除が議論された。しかし、与党自由民主党の右派議員から「子どもの権利の平等だけに目がいき、正妻の地位を脅かしている」「家族制度が壊れる」「最高裁の暴走だ」等の反発が出たため、2013年(平成25年)中の戸籍法改正は見送られた[1]。野党の民主党、みんなの党の2党(参議院では、さらに日本共産党、社会民主党、沖縄社会大衆党(糸数慶子)[注釈 1]を加えた5党[2])は、政府が改正を見送った内容の戸籍法改正案を提出したが、衆参共に反対多数で否決された[3]。しかし、与党公明党が賛成に回ったため、参議院では法務委員会を通過し、12月5日の本会議では、自民党に加え日本維新の会が反対した結果、1票差での際どい否決だった[4][5]。公明党が与党になってから、自民党と異なる投票をしたのは極めて異例である。なお、民法改正案は同日全会一致で可決、成立している。 2025年5月26日、法改正で戸籍に読み仮名が記載されるようになる(予定)[6]。 旧外地人参政権との関係日本が第二次世界大戦に敗北した後、外地として支配していた朝鮮、台湾、南樺太(昭和18年(1943年)に内地化)、千島列島(北方領土を除く)などは独立するか、あるいは他国の領土(日本は、南樺太、千島列島については帰属未定地としているが、ロシアが実効支配している)となった。しかし、これらの地域に本籍地を有する者(外地人の父の下に日本内地で出生し外地戸籍に登載された者も含む)は、日本の国内法上なお日本国籍を有するとされていた。 日本政府は、これら旧外地人が参政権を行使することを恐れた。これは、在日旧外地人を、治安維持の脅威として見ていたためである。ただし、幣原喜重郎内閣はいったんは参政権行使を認める閣議決定を行っている。しかし、清瀬一郎は、旧外地人が10議席以上獲得する可能性があると指摘し、民族紛争や天皇制廃止論と結びつく危険性があると説き、参政権を行使させてはならないと強く説いた。 そこで、昭和20年(1945年)12月15日、戸籍法の適用を受けていなかった旧外地人の選挙権を「当分の間」停止する衆議院議員選挙法改正案を可決・成立させ、12月17日に公布した。同様の条文は、1946年(昭和21年)に参議院議員選挙法案や東京都制・市制・町村制・府県制のそれぞれの一部を改正する法律案や1947年(昭和22年)の地方自治法案にも同様の内容の規定が盛り込まれて成立し、公布された。これらの規定は公職選挙法附則第2項や地方自治法附則第20条にほぼそのまま残っている。旧外地人は1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ平和条約発効をもって日本の国内法上完全に日本国籍を喪失した(ただし、樺太籍者は日本国籍をそのまま認め、アメリカ占領下の沖縄・奄美・小笠原諸島、ソビエト連邦占領下の千島列島出身者と同様の扱いとした)。 なお、天皇および皇族も戸籍を持たないため(皇統譜に記載される)、同条項が適用されるという見解がある。実際に、天皇・皇后・皇族の参政権は存在しないが、宮内庁としては「政治的な立場も中立でなければならない」という要請や、天皇は「国政に関する権能を有しない」(日本国憲法第4条1項)という規定の趣旨などを根拠としており、同条項が根拠ではないという見解を示している。 →詳細は「皇統譜 § 戸籍法と選挙権・被選挙権の関係」を参照
構成
総則
戸籍簿戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める1つの夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、編製する(6条)。 戸籍の記載
届出→詳細は「戸籍 § 戸籍の届出の種類」を参照
戸籍の訂正
雑則
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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