大庭 (藤沢市)
地理藤沢市の中西部に位置し、相模野台地の南端部を占める。東部に引地川が流れる。 中部に大庭城址、南部には式内社「大庭神社」と比定される熊野神社がある[注 1]。また、中西部では大規模な宅地造成が行われている(湘南ライフタウン)。 河川地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、大庭字小糸5112番17の地点で14万9000円/m2となっている[5]。 歴史築山から縄文時代前期の土器片、弥生時代中・後期の集落跡、奈良時代の土師器を伴う集落が確認されている。 平安時代には相模国高座郡十四郷のひとつである大庭郷の中心に比定され、平安時代末期から室町時代には大庭御厨の中心であった。 江戸時代は大庭村となり、1633年(寛永10年)は旗本諏訪部氏・加々爪氏・大橋氏・飯河氏の4給、1697年(元禄10年)幕府領と旗本加々爪氏・飯河氏・諏訪部2氏の4給、幕末には幕府領と旗本小笠原氏・飯河氏・加々爪氏・諏訪部2氏の5給。 大庭村内は、折戸・稲荷・台・谷・入・小糸の6集落があり、折戸・稲荷は1村と扱われることが多かった。稲荷は後に分村した。 大庭村は、1639年(寛永16年)に羽鳥村と村境争論が発生し、1673年(延宝元年)に鵠沼村との間に水論が発生した[6]。宝永大噴火で甚大な被害を受け、夫食貸しの願を勘定奉行へ1705年(宝永5年)に出した[6]。物産は、米・木綿・ムギ・ダイズ・アズキなど。 地名の由来広大な平坦地の意味である大庭にちなむ[7]。 沿革
経済産業
『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』によると、大庭では角田、川崎、高橋姓の人物などが農業を営んでいた[10]。また農蚕業を営む山崎姓の人物がいた[10]。 世帯数と人口2023年(令和5年)9月1日現在(藤沢市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校の学区は入り組んでいるため、通学先の組み合わせは複雑である。ここでは小・中学校別に学区を提示する(2020年3月時点)[17]。
このうち、大庭にある小学校は大庭小学校、小糸小学校、駒寄小学校で、大庭にある中学校は大庭中学校のみである。 事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[18]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道当地を通る鉄道路線はない。 バス道路施設
出身・ゆかりのある人物その他日本郵便脚注注釈出典
参考文献
関連項目
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