藤沢モノレール藤沢モノレール(ふじさわモノレール)とは、神奈川県藤沢市の辻堂駅から湘南ライフタウンまでを走ることになっていた、実際に着工されることはなく計画段階で終わったモノレールである。 ここでは、1973年(昭和48年)9月に湘南モノレール株式会社と日本モノレール開発株式会社により運行計画が作成されたものを「1973年計画」、1982年(昭和57年)7月に社団法人日本モノレール協会が公表した計画を「低廉化システム計画」として記述する。 なお、藤沢市はこれらの計画に直接関わっていない[1]。 1973年計画計画策定から廃案まで1971年(昭和46年)から藤沢市の都市計画事業として開発が行われていた湘南ライフタウン(当時の名称は西部ニュータウン)の交通問題解決策として、藤沢モノレールの建設が提唱された。1973年(昭和48年)9月には湘南モノレールと日本モノレール開発によって計画は作成された(それによると藤沢モノレールの事業主体には第三セクターを想定していた)。しかしながら利用者・時間が朝夕1時間ほどの通勤・通学者に限定されて採算が取れないため、実際に着工することはなく廃案となってしまった。 想定時の車体概要2両連結6編成(1編成あたり乗客最大340名)で運行し、路線全長は5km、運行想定速度は時速30km、始発駅から終着駅までの予定所要時間は10分となっている。方式は湘南モノレールや千葉都市モノレールと同じく懸垂式(サフェージュ式)。通常時間帯では12分間隔、ラッシュ時には6分間隔で運行する予定であった。 予定路線辻堂駅 - 神台2丁目駅 - ゴルフ場駅 - ニュータウン入口駅 - 大庭台第1駅 - 大庭台第2駅 - 羽根沢駅 - 遠藤駅 - 矢向駅 参考文献
低廉化システム計画1975年度、1976年度に藤沢市は、辻堂駅から湘南ライフタウンを通りさらに北へ向かう公共交通機関のルートについて、「西部開発線」として都市モノレール等調査を行った[2]。 これは都市モノレール及び新交通システムを検討する自治体が、建設省の補助を受けて基礎調査を行うもので、藤沢市の場合は都市モノレールではなくAGT等の新交通システムの導入を検討していた。 しかしこの動きを知った日本モノレール協会は、辻堂 - 湘南ライフタウン間の都市モノレールの導入を提案し、藤沢市に「藤沢市モノレール低廉化システム計画(提案書)」を提出した[3]。 提案書の概要は、日本モノレール協会から1982年7月に「藤沢市(西部開発線)モノレール試案」として公表されている[4]。 路線データ
車両データ
駅一覧
建設費・運賃等
その他
脚注
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