大山町 (板橋区)
大山町(おおやまちょう)は、東京都板橋区の町名[5]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。 地理板橋区の南東部に位置する。町域の北は仲町、北東は栄町、東は大山東町、南は大山金井町及び幸町、西は大山西町、北西は弥生町にそれぞれ接する。町域の西辺を川越街道が走る。町域内には住宅のほか、区立小学校が立地する。 歴史当該エリアは1871年(明治4年)11月14日に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。1889年には板橋町の一部分となり、1932年からは板橋区の一部となった。1958年に板橋区板橋町4・9丁目から大山町が成立した。住居表示実施は1971年。 地名の由来「大山」の名が生じたという最も大きなものは「大山詣」との関連である[6]。大山は神奈川県の中央にあり、阿夫利山(雨降山)ともいい、毎年登山参詣で賑わった[6]。大山で生まれ育った瀬田伝次郎(明治26年生まれ)は「江戸時代から神奈川県の『大山へ行くべえ』という大山詣りの人々の足場であったから自然と『大山』と呼ばれるようになった思うと」と述べている[6]。 大山詣の人々が休憩するお茶屋が、三菱銀行あたりの所にあり、屋号を「二階屋」と呼んでいた[6]。大山街道の玄関口として重要だったために、自然と「大山」と呼ばれるようになったという説がある[6]。 経済産業江戸時代から住みついている人は瀬田(農業)、瀬田(質屋)、吉田(農業)、吉岡屋(吉川、なら漬)[7]、吉川(呉服屋)、石川(荒物商)、岡田(農業)、当麻(農業)、板橋(農業)、伊崎(馬力屋)、春日(だんご屋)などである[6]。また馬車屋、馬車立場、水車、手風琴の行商などの商売の家があった[6]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[8]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
世帯数と人口2024年(令和6年)3月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[16]。
交通鉄道バス
道路
施設
出身・ゆかりのある人物
その他日本郵便脚注
参考文献
関連項目
外部リンク |
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