大倉忠司
大倉 忠司(おおくら ただし、1960年2月4日 - )は、日本の実業家。株式会社エターナルホスピタリティグループ代表取締役社長CEO。人気焼き鳥チェーン店「鳥貴族」を一代で築いた。大阪府東大阪市出身。 概要1960年2月、大阪府東大阪市生まれ。高校、調理師専門学校を経て、ウェイターとして大手ホテルチェーンで働く。1982年、焼鳥店に転職。1985年に独立、東大阪市内に「鳥貴族」1号店をオープン[2]。 1986年に株式会社イターナルサービス(現:株式会社鳥貴族)を設立、代表取締役社長に就任。全メニュー280円の低価格路線が支持され、出店を拡大。2014年にジャスダック上場。2015年に東証2部、2016年に東証1部に上場[2]。 2023年現在、東京・名古屋・大阪を中心に600店舗以上出店する[2]。 経歴1960年(昭和35年)2月4日、大阪府東大阪市生まれ[3]。実家はブリキ加工の町工場であった[3]。祖父は、玩具製造会社「大倉商店」を創業[4]。 大阪府立盾津高校(現在の大阪府立かわち野高校)2年の夏にビアガーデンでバイトを始め、その仕事ぶりが認められて焼鳥とおでんの担当を任されたことで飲食業の面白さに目覚める[3]。 高等学校卒業後、飲食業へ進む意思を持ち、辻調理師専門学校に進学、和食・中華料理・洋食を一通り学ぶ[5]。辻調理師専門学校卒業後はロイヤルホテル(現在のリーガロイヤルホテル)に就職、ホテルのイタリア料理店へ調理師として入職するもホールウェイター担当として勤務し[6][7]、ここで大倉は接客の面白さに目覚め、3年目にキッチンへの異動を打診されるも「接客の方が面白い」という理由でホール担当を続けたという[5][6]。 大倉はホテルから実家近くの焼鳥屋へ転じて修行し[6]、独立を決意して、1985年(昭和60年)5月1日に東大阪市の近畿日本鉄道俊徳道駅前に9坪・27席の店舗[8] から念願の店『じゃんぼ焼鳥 鳥貴族』を開業。開業資金は実家の両親が手配してくれたという[7]。「村さ来」の社長の本をバイブルに“ヤング世代をつかむ”明るい店舗、ゆとりのある席、ボリュームあるメニューで展開。店名の由来は「お客さまを貴族扱いする」[8]。同年5月16日、長男・忠義(SUPER EIGHT)が誕生[9]。 1986年(昭和61年)に法人化。イターナルサービス(現・株式会社鳥貴族ホールディングス)を設立して年に1店のペースで多店舗展開。『鳥貴族』のフランチャイズ化へ向けての布石を打つ[6]。 2003年(平成15年)大阪市中央区の道頓堀に初出店。阪神優勝の波に乗ってブレイク[8]。以後、2005年(平成17年)東京へ進出するなど順調に経営規模を拡大し、『低価格298円均一』をスローガンに通算600店舗を数えるまでに『じゃんぼ焼鳥 鳥貴族』を成長させた。 2012年(平成24年)初の著書『鳥貴族「280円均一」の経営哲学』を東洋経済新報社より出版[8]。 2014年(平成26年)ジャスダック、2015年(平成27年)東証2部、2016年(平成28年)東証1部に上場させる。2021年(令和3年)2月に持株会社制へ移行し「鳥貴族ホールディングス」に改称[10]。 2023年(令和5年)現在、焼鳥一筋40年、『焼鳥屋で世の中を明るくしたい』という永遠の理念のもと、鳥貴族、トリキバーガーを中心に『グローバルチキンフードカンパニー』を目指している[11]。 人物
大倉家
出演テレビ
ラジオ
著書
脚注
関連項目外部リンク
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