大久保あかね
大久保 あかね(おおくぼ あかね、1963年〈昭和38年〉5月 - )は、日本の観光学者(観光文化論・宿泊産業論)。学位は博士(観光学)(立教大学・2003年)。静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科附属ツーリズム研究センター副センター長・経営情報学部教授・大学院経営情報イノベーション研究科教授。 株式会社リクルートでの勤務を経て、富士常葉大学総合経営学部教授、常葉大学経営学部教授、日本大学短期大学部ビジネス教養学科教授などを歴任した。 概要愛知県出身の観光学者である[1]。リクルートの就職情報誌事業部に勤務し[2][註釈 1]、退職後も同社のじゃらん事業部と業務委託契約を結び[3]、『じゃらん』の広告の企画などを手掛けた[3]。その後、富士常葉大学、常葉大学、日本大学、静岡県立大学などで教鞭を執った[3]。 来歴生い立ち1963年(昭和38年)5月[4]、愛知県名古屋市にて生まれた[5]。国立大学である奈良女子大学に進学し[6]、文学部の教育学科にて学んだ[6]。1987年(昭和62年)3月、奈良女子大学を卒業した[6]。 1987年(昭和62年)4月、リクルートに入社した[3]。リクルートでは就職情報誌事業部に配属され[2]、営業や制作などを経験した[2]。なお、入社した翌年にリクルート事件が社会問題化し、やがて竹下政権退陣に繋がる騒動となったが、その間も引き続き勤務した。また、1992年(平成4年)にはリクルートがダイエーグループの傘下に入るなど体制が大きく変化したが[註釈 2]、1993年(平成5年)9月まで勤務した[3]。退職後は静岡県熱海市に転居した[5]。1996年(平成8年)6月より古巣であるリクルートのじゃらん事業部と業務委託契約を結び[3]、『じゃらん』で熱海市に関する業務を担当することになった。主として熱海温泉の旅館やホテル、および、行政機関の広告の企画などを手掛け[2]、2003年(平成15年)4月まで担当した[3]。 また、それと並行して、学校法人である立教学院が設置・運営する立教大学の大学院に進学し[6]、観光学研究科にて学んだ[6]。2000年(平成12年)3月、立教大学の大学院における博士前期課程を修了した[6]。また、2003年(平成15年)3月には、立教大学の大学院における博士後期課程を修了した[6]。 学者として2006年(平成18年)4月、学校法人である常葉学園が設置・運営する富士常葉大学に採用され[3][註釈 3][註釈 4]、新設された総合経営学部の助教授に就任した[3]。総合経営学部においては、主として総合経営学科の観光ビジネスコースの講義を担当した[2]。2010年(平成22年)4月、富士常葉大学にて、総合経営学部の教授に就任した[3]。その後、富士常葉大学は浜松大学とともに常葉学園大学に統合・再編されることになり[7]、新たに常葉大学が2013年(平成25年)に発足した[7]。それに伴い、翌年4月付で常葉大学に転じ[3]、経営学部の教授に就任した[3]。 2017年(平成29年)4月、同名の学校法人が設置・運営する日本大学に採用され[3]、短期大学部にてビジネス教養学科の教授に就任した[3]。また、その傍ら他の教育・研究機関でも教鞭を執っており、同名の学校法人が設置・運営する法政大学の大学院においてはイノベーション・マネジメント研究科の客員教授を兼任していた[8]。イノベーション・マネジメント研究科においては、主としてイノベーション・マネジメント専攻の講義を担当し、小川孔輔、平石郁生らとともに講義を受け持った[9]。 2019年(平成31年)4月、公立大学法人である静岡県が設置・運営する静岡県立大学に採用され[3]、経営情報学部の教授に就任した[3]。経営情報学部においては、主として経営情報学科の講義を担当した[4]。また、静岡県立大学の大学院においては、経営情報イノベーション研究科の教授を兼務することとなった。経営情報イノベーション研究科においては、主として経営情報イノベーション専攻の講義を担当した。2020年(令和2年)4月1日、静岡県立大学の大学院にて経営情報イノベーション研究科に附属ツーリズム研究センターが設置されると[10]、その副センター長に就任した[11]。 研究専門は観光学であり[12][13]、特に観光文化論や宿泊産業論といった分野の研究に従事している[12]。また、パラオの観光産業を題材に取り、その観光容量やエコツーリズムに関する研究にも取り組んだ[14]。 また、研究の一環として地域貢献活動も展開している。静岡県島田市、天神屋などと連携し[15]、受験生向けの弁当を考案した[15]。大久保の研究室にて合格地蔵尊やすべらず地蔵尊、日限地蔵尊などにちなんだメニューを開発しており[15]、市内の観光地の知名度向上や周遊促進をも企図していた[15]。これらの弁当は天神屋の全店舗にて販売された[15]。 略歴
脚注註釈出典
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