城郷村
城郷村(しろさとむら)は、かつて神奈川県橘樹郡にあった村。現在の横浜市港北区南部、神奈川区北西部に当たる。 概要1912年(明治45年)の記録では戸数602戸のうち農家438戸で、街道(現在の上麻生線)沿いに商家95戸、大工43戸があるほかは、全体の73%が農業を営む世帯の多い純農村地域であった。そのため村内のほぼすべての集落で農業が行われていた。小机、下菅田、羽沢地区では米麦の耕作が多く行われたが、水田の多くが谷あいの「谷戸田」や「深田」と呼ばれる条件の悪い農地が多く存在したため、作物の収量はそれほど多くなかったという。 六角橋、神大寺、片倉では丘陵地が多く、蔬菜・園芸農業が明治期より盛んに行われた。特に、キャベツの生産は大正から昭和初期に片倉地区の農家から村全域へと広がり、その後、横浜市域全域へと広がったことで、現在の「横浜キャベツ」の原型となった。そのほか小机地区のイチゴ栽培や鶴見川に近い岸根地区では桃の栽培なども行われていた。 「城郷地区」の呼称現在は、港北区の部分を「城郷地区」と呼び[1]、学校等の施設名(神奈川県立城郷高等学校[2]、横浜市立城郷中学校、横浜市立城郷小学校)にも残っている。 城郷の名の由来となった小机城址が港北区側にあるためだが、港北区側と旧村の大部分を占める神奈川区側とでは、昭和以降は互いに異なる歴史を歩んできたこともあり、旧村全体に対して「城郷地区」の名はあまり用いない。神奈川警察署(神奈川区管轄)の羽沢交番は、かつて「南城郷交番」だったが改称された[3]。 地理現在の横浜市港北区南部、神奈川区北西部に相当する。 村の北部には鶴見川が流れ、その川沿いの平地は村内最大の水田地帯(三隅耕地)だった。 そのほかの地区は鶴見川や滝の川などに注ぐ小さな川を中心として複雑にいくつもの谷戸が形成されており、谷戸田と呼ばれる低湿地で稲作が行われていた。現在でも多く「谷戸」と名のつく地名が残っている。こうした入り組んだ谷戸の上には台地が広がっており、大部分が畑地として利用された。 歴史
行政
教育交通鉄道路線横浜市営地下鉄ブルーラインの片倉町駅、岸根公園駅、東海道貨物線の横浜羽沢駅(形式的には旅客駅だが、事実上は貨物駅)、JR東日本・相模鉄道の羽沢横浜国大駅は未開業。 道路名所・旧跡神社
脚注
関連項目 |