城崎町
城崎町(きのさきちょう)は、兵庫県北東部にあった町。本項では町制前の名称である湯島村(ゆしまむら)についても述べる。 2005年4月1日、豊岡市、城崎郡竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併して新「豊岡市」となったため消滅した。 地理円山川の西岸に沿って市街地があり、その中に城崎温泉も位置する。なお、日本海にごく近い印象があるものの、町域は豊岡市と竹野町に抱かれたような立地となっており、海には直接面していない。 城崎温泉は関西の奥座敷として知られ、京阪神方面から城崎温泉駅まで多数の特急列車が直通している(大阪・尼崎方面からは「こうのとり」、京都方面からは「きのさき」、大阪・姫路方面からは「はまかぜ」)。
隣接していた自治体歴史城崎温泉は、温泉寺の開祖である道智上人という僧が衆生済度の大願を発し、一千日の祈願をしたことにより開かれた温泉と伝える。のちに聖武天皇の勅を得て、道智上人が温泉寺を開創した。以後多くの人に親しまれ、桂小五郎も一時ここに潜んだという。志賀直哉の『城の崎にて』は、彼が1913年事故に遭い、当地で療養した折の経験を元にしている。 沿革
経済産業
『大日本篤農家名鑑』によれば城崎町の篤農家は「西村佐兵衛、片岡平八郎、加藤信太郎」などがいた[1]。
『山陰実業興信録 大正11年』によれば物品販売業を営む人物は「岡田兵三郎、竹内瀧蔵、久保田宗吉、久保田順三、谷垣意知治、熊原幸吉、下山鹿次郎、武内増蔵、佐藤甚太郎、今西清蔵」などがいた[2]。 製造業を営む人物は「細田顕次」、運送業を営む人物は「高橋大治郎」、請負業を営む人物は「藤原孫蔵」、仲立業を営む人物は「沖野秀治」などがいた[2]。 旅館業を営む人物は「西村六左衛門、伊賀政蔵、片岡平八郎、結城小左衛門、結城寛、杉本繁造、井上吉右衛門、守口九左衛門、山本小ベン、齊藤宗三郎、安田貞吉、垣谷はる、輪笠與八郎、石田松太郎、西村佐兵衛、柿谷しな、兒島國治、河原庄三郎、西村彦七」などがいた[2]。 交通鉄道道路バス出身・ゆかりのある人物脚注
参考文献
関連項目外部リンク |
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