国沢光宏国沢 光宏(くにさわ みつひろ、1958年〈昭和33年〉4月16日 - )は、日本の自動車評論家、モータージャーナリスト。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員[1]。日本自動車ライターズ・ソサエティ所属。 人物・経歴![]() 東京都中野区出身。13歳から結婚直前の23歳まで叔母の鰻屋[注 1]で暮らした[2]。 東京農業大学在学中から自動車雑誌でレポーターを務める。バイク雑誌『ベストバイク』(1988年11月号に国沢光宏名義の記事あり)、自動車雑誌『ベストカーガイド(現在の『ベストカー』)』等の編集に携わった[1]が、1984年に退社し、フリーランスのライターとして主にバイク(二輪車)関連の記事を執筆すると同時に、自らバイク店の経営も行った[注 2]。その後は自動車(四輪車)関連の仕事に移行し、現在は雑誌やウェブサイトに自動車関連の記事を寄稿するなどしている。故・徳大寺有恒を師と仰いでおり、表現方法、取り扱う話題や内容といった点で強く影響を受けているという[3]。 1999年11月[要出典]、自らのウェブサイト「Kunisawa.Net(クニサワ・ネット)」を開設した。同サイトは2010年2月に[要出典]「Kunisawa.Asia(クニサワ・アジア)」に改名されたが、その後Kunisawa.netに統合され現在に至る。RSSリーダーである「Feedly」では、Kunisawa.netに1000人以上のフォロワーがおり[4]、日々の閲読者が1万人いるとされる[5]。 モータースポーツにも積極的にスポット参戦している。1985年のビッグサマー全日本ツーリングカー選手権レースにドライバーとして参戦[6]。2005年には改造した「スバル・インプレッサ」でラリー北海道、ラリージャパンなどに[1]自らドライバーとして出場。2013年の全日本ラリー選手権第9戦(愛知県新城市)では改造した「日産・リーフ」を駆り、JN1クラスで電気自動車としては全日本史上初の優勝を果たしている[7]。2015年にはWRC第8戦ラリー・ドイチェランドのオフィシャルカーとして、自腹で改造を手がけた燃料電池車(FCV)の「トヨタ・MIRAI」をドライブ[8]。同年の新城ラリーにもJAF全日本選手権史上初めてFCVで参戦し、JN1クラス(全2台中)で2位完走を果たした 。2018年のラリー・ドイチェランドには「フォード・フィエスタ」R2でエントリーし、デイリタイアを喫しながらも最終日を走りきった[9]。2019年も同ラリーにフィエスタR2で参戦し、RC4クラス3位に入った。2022年のWRCラリー・ジャパンには、ルノー・クリオ ラリー5を購入して参戦する。 この他タイで開催されたラリー「キングスカップ」では2度総合優勝を果たしている[10]。 2008年から始まった小型船舶に対する授賞「日本ボート・オブ・ザ・イヤー」の選考委員も務める[11]。 評価モーターマガジン社より発売されているミスター・バイク1988年10月号の読者投稿欄に、国沢の著作物の内容に対する抗議の投書が掲載された。ミスター・バイク近藤編集長(当時)が同年12月号の投稿欄に記載したコメントに『国沢光宏・著「中古バイク購入データブック」に対しての10月号から始まった投書の嵐。私しゃ驚いてます』とある。 また、ベストカー2016年12月10日号で行われた読者アンケートの結果、「好きな自動車評論家部門」、「嫌いな自動車評論家部門」の双方で1位という結果を残している[12]。 自身のサイトにて「ランエボ大嫌いの益子会長が退任。完全に三菱自動車から離れると思う(2020年8月7日)」の記事において元三菱自動車社長の益子氏が「三菱自動車の社内で益子さんの大きな弱点として話に出るのは、まったくクルマに興味を持っていないことだといいます。運転免許すら所有していないそうです」と報道したが益子氏は運転について語る言動もあり誤報と報じられている。 寄稿先雑誌ウェブサイト(コンテンツ公開元)
出演ラジオ番組
テレビ番組著作バイク関連
自動車関連
脚注注釈出典
外部リンク
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