呂号第六十五潜水艦(ろごうだいろくじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の6番艦。
艦歴
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』465-466頁による。
艤装員長
- 斎藤栄章 大尉:1926年3月1日 - 1926年6月30日
艦長
- 斎藤栄章 大尉:1926年6月30日 - 1928年5月16日
- 魚住治策 少佐:1928年5月16日 - 1929年9月20日[5]
- 大竹寿雄 大尉:1929年9月20日 - 1929年11月30日
- 長井武夫 大尉:1929年11月30日 - 1931年4月1日[6]
- 堤道三 大尉:1931年4月1日[6] - 12月1日[7]
- 杉浦矩郎 少佐:1931年12月1日 - 1932年8月20日[8]
- 浜野元一 少佐:1932年8月20日 - 1934年11月1日
- 江見哲四郎 大尉:1934年11月1日 - 1935年2月28日[9]
- 松村寛治 大尉:1935年2月28日 - 1937年3月20日[10]
- 戸上一郎 少佐:1937年3月20日 - 1937年12月1日[11]
- (兼)市川旦 少佐:1937年12月1日[11] -
- 上野利武 大尉:1938年4月19日[12] - 1938年6月10日[13]
- 河野昌道 大尉:1938年6月10日[13] - 1938年7月30日[14]
- 矢島安雄 少佐:1938年7月30日[14] - 1938年12月15日[15]
- 小川綱嘉 少佐:1938年12月15日[15] - 1939年3月20日[16]
- 宇野亀雄 少佐:1939年3月20日[16] - 1940年3月20日[17]
- 上野利武 少佐:1940年3月20日[17] - 1940年8月10日[18]
- (兼)大竹寿雄 中佐:1940年8月10日 - 1940年9月28日[19]
- 原田毫衛 少佐:1940年9月28日 - 1941年7月31日[20]
- 工藤兼男 少佐:1941年7月31日 - 1942年2月15日[21]
- 鳥巣建之助 少佐:1942年2月15日 -
- 江木尚一 大尉:1942年6月30日 -
脚注
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9