呂号第五十九潜水艦

艦歴
計画 大正7年度計画[1]
起工 1921年5月18日[1]
進水 1922年6月28日[1]
就役 1923年3月20日[1]
除籍 1945年11月20日[1]
その後 1945年5月1日予備艦[1]
1946年5月米軍により海没処分
性能諸元
排水量 基準:889トン 常備:920.1トン
水中:1,102.7トン
全長 72.72m
全幅 7.16m
吃水 3.96m
機関 ヴィッカース式ディーゼル2基2軸
水上:2,400馬力
水中:1,600馬力
速力 水上:17.1kt
水中:9.1kt
航続距離 水上:10ktで5,500海里[2]
燃料 重油:98トン
乗員 46名
兵装 短8cm高角砲1門
53cm魚雷発射管 艦首4門
魚雷8本
備考 安全潜航深度:60m

呂号第五十九潜水艦(ろごうだいごじゅうくせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂五十七型潜水艦(L3型)の3番艦。竣工時の艦名は第五十七潜水艦

艦歴

1921年大正10年)5月18日、三菱神戸造船所で起工。1922年(大正11年)6月28日進水。1923年(大正12年)3月20日竣工。竣工時の艦名は第五十七潜水艦[3]、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第五十九潜水艦に改称。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名を呂五十七型に改正[4]

太平洋戦争では艦齢延長工事を実施し、呉防備隊に配属[5]。日本近海の作戦に従事[1]。終戦時、大竹海軍潜水学校で訓練艦。1945年(昭和20年)11月20日除籍。1946年(昭和21年)5月[6]伊予灘で米軍により海没処分[7]

歴代艦長

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長

艦長

  • (心得)古宇田武郎 大尉:1923年3月20日 - 1923年5月15日
  • (心得)醍醐忠重 大尉:1923年5月15日 - 1924年5月10日
  • (心得)八代祐吉 大尉:1924年5月10日 - 1924年10月20日
  • 石崎昇 大尉:1924年10月20日[8] - 1926年12月1日
  • 駒沢克己 少佐:1926年12月1日 - 1928年12月10日
  • (兼)阿部信夫 少佐:1928年12月10日[9] - 1929年11月1日[10]
  • 貴島盛次 少佐:1929年11月1日[10] - 1930年6月3日[11]
  • (兼)佐藤寅治郎 少佐:1930年6月3日[11] - 1930年6月30日
  • 今里博 少佐:1930年6月30日 - 1931年7月5日
  • 大山豊次郎 大尉:1931年7月5日[12] - 1931年12月1日[13]
  • 太田信之輔 少佐:1931年12月1日 - 1932年8月24日
  • 大山豊次郎 少佐:1932年8月24日[14] - 1933年11月15日[15]
  • (兼)藤井明義 少佐:1933年11月15日 - 1933年12月1日
  • 鳥居威美 少佐:1933年12月1日[16] - 1934年8月15日[17]
  • (兼)原田覚 中佐:1934年8月15日 - 1934年10月22日
  • 山本皓 大尉:1934年10月22日[18] - 1935年10月31日[19]
  • (兼)七字恒雄 少佐:1935年10月31日[19] - 1935年11月15日[20]
  • (兼)小泉騏一 少佐:1935年11月15日[20] - 1936年2月15日[21]
  • (兼)稲田洋 大尉:1936年2月15日[21] - 1936年12月1日[22]
  • (兼)田上明次 少佐:1938年11月1日[23] - 1938年12月15日[24]
  • 木梨鷹一 少佐:1938年12月15日 - 1940年3月20日
  • 川崎陸郎 少佐:1940年3月20日[25] - 1940年10月15日[26]
  • 中島清次 少佐:1940年10月15日[26] - 1941年1月31日[27]
  • 田岡清 少佐:1941年1月31日[27] - 1941年3月4日[28]
  • (兼)岩上英寿 中佐:1941年3月4日 - 1941年4月28日
  • 長谷川晙 少佐:1941年4月28日[29] - 1941年10月31日[30]
  • 田辺弥八 少佐:1941年10月31日[30] - 1942年1月31日[31]
  • 中井誠 少佐:1942年1月31日[31] -
  • (兼)楢原省吾 中佐:1942年8月26日 - 1942年10月15日

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第7巻、371頁。
  2. ^ 『写真 日本の軍艦 第12巻』による。水中航続力は不明。
  3. ^ 大正13年11月1日付 海軍大臣官房 官房第3305号。
  4. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  5. ^ 『日本海軍の潜水艦』146頁。
  6. ^ 『日本海軍史』第7巻、371頁では、1945年5月。
  7. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」17頁。
  8. ^ 『官報』第3650号、大正13年10月22日。
  9. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  10. ^ a b 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  11. ^ a b 『官報』第1028号、昭和5年6月5日。
  12. ^ 『官報』第1351号、昭和6年7月7日。
  13. ^ 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  14. ^ 『官報』第1697号、昭和7年8月25日。
  15. ^ 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  16. ^ 『官報』第2077号、昭和8年12月2日。
  17. ^ 『官報』第2288号、昭和9年8月16日。
  18. ^ 『官報』第2344号、昭和9年10月23日。
  19. ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  20. ^ a b 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  21. ^ a b 『官報』第2735号、昭和11年2月17日。
  22. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  23. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第256号 昭和13年11月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074500 
  24. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  25. ^ 海軍辞令公報(部内限)第453号 昭和15年3月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077800 
  26. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  27. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第587号 昭和16年1月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080300 
  28. ^ 海軍辞令公報(部内限)第599号 昭和16年3月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080500 
  29. ^ 海軍辞令公報(部内限)第630号 昭和16年4月30日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080900 
  30. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第737号 昭和16年10月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 
  31. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第804号 昭和17年1月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084100 

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。