向島ニュータウン
向島ニュータウン(むかいじまニュータウン)は、京都市伏見区南部の向島にあるニュータウンである。京都市住宅供給公社が事業主体となっている。 当ニュータウンは、かつての二ノ丸池(秀吉の伏見城築城に伴う宇治川の改修工事で築かれた小倉堤によって巨椋池本体と分断された)が干拓された地に造成された。 年表
施設住宅施設全11街区で構成されるが、街区そのものは当ニュータウンを通過する国道24号を挟んで東西に分割している。1街区 - 6街区は近鉄京都線寄り、7街区 - 11街区は宇治川寄りにある[12]。なお、東西の各街区は連絡橋で結ばれている[注 3]。ちなみに、6街区の住居棟は都市再生機構(愛称・UR都市機構)が管理する公団住宅である[13]。 公団住宅
市営住宅
分譲住宅
公共施設教育施設小学校中学校
公園
商業施設当ニュータウンには向島ニュータウンセンター商店街(1978年開業)と向島らる商店街(1990年開業)がある[5]。向島ニュータウンセンター商店街はKINSHO(近商ストア)や各店舗で構成された商店街[5][14]、向島らる商店街は向島セミナーハウス内に併設した2階建て[注 4]の商店街である[15][16]。 その他の施設
交通
周辺当住宅地は京都市伏見区の南端にあるため、それに接する宇治市にある周辺施設や道路も併せて紹介するが、鉄道駅(京阪宇治線を除く)およびバス停留所の案内はすべて省略する。 当ニュータウンの北側は観月橋(この橋で宇治川を渡る。対岸には京阪宇治線の観月橋駅がある)の手前まで民家が続くが、東側は田畑が広がる。南側も住宅地が広がるが、小学校や大学がある。国道24号沿いにはロードサイド店舗が連なるが、京滋バイパス付近は工業地となっており多くの工場が建つ。山崎製パン京都工場はその一角にある。 祭典向島駅前まちづくり協議会が企画し、京都文教大学の協力により、2008年(平成20年)から「春の祭典」として開催したことがその始まりである[3]。同年に開催されたイベントは1,000人を超える住民が参加し、にぎわいを見せた[21]。「春の祭典」は2010年(平成22年)開催分をもって終了し、2011年(平成23年)から「秋の祭典」に改称して開催した後[6]、2018年(平成30年)に「向島まつり」へ再改称した[10][11]。再改称後は門川大作(第26代京都市長[22])が激励に駆けつけることがあり、その模様は門川の公式サイトに記されている(※下表を参照)。
中国帰国者に関して当ニュータウンへ移住する中国帰国者は1990年代から増加し、2008年(平成20年)には中国語の会話や公園で太極拳を行う光景が今までよりも顕著となった[3]。2009年(平成21年)3月に開催された第2回「春の祭典」で餃子や中華まんなどを扱う模擬店で同イベントに参加したが[3]、この当時は住民との交流はさほど多くなかった[注 5]。 この問題を解決するため、2010年(平成22年)2月に各自治会長との交流会が開かれ、中国帰国者との間で意見交換が行われた[3]。なお、この交流会が開かれる3ヵ月前(2009年11月)に「中国帰国者京都の会」が設立し、同会は1ヵ月前(2010年1月25日)に京都商工会議所で設立集会を開催している[27]。 中国帰国者側は「棟の他の住民との交流が少ない」・「地域との交流を進めるための場を作る」・「社会に貢献できるような活動をしたい」・「日本語教室の開設」[注 6]などの意見や要望を話し、自治会長側は「一部住民はルール・マナー違反が目立つ」・「自治会の役員に積極的に協力してほしい」・「あいさつ運動[注 7]に参加してほしい」などの意見や要望を話した[3]。 その後は住民トラブルが減少したが、1世の高齢化に関する課題が深刻となった[3]。この件に関し、向島駅前まちづくり協議会の会長(当時)は「言葉の不自由を除けば他の住民と同様の条件にある。しっかりと地域全体に目を配りコツコツと積み重ねていくことが大切である」と総括した[3]。 当ニュータウンでは中国の他に、ベトナム・ペルー・ブラジル・メキシコ・台湾など様々な国の人々が暮らす多世代・多文化・多国籍共生の町となり、地域コミュニティの不足が懸念されたが[2]、前述した祭典(現:「向島まつり」)や「向島文化の日」を開催して国際交流が進められている[2]。ちなみに、この取組みのスローガンは「人の力で、まちはかえられる」である[2]。 脚注注釈
出典本文
活動記録(市長)
活動日記(門川)
関連項目
外部リンク |