同地
同地(どうじ)は、茨城県守谷市の大字。旧北相馬郡同地村。郵便番号は302-0112。 地理守谷市東部に位置し、地域北部に小貝川が流れる自然が色濃く残る地域である。 東は取手市市之代、西、南は本町、北は小貝川を挟んでつくばみらい市長渡呂と接している。 河川歴史当地域は、概ね全域がかつて下総国相馬郡同地村となっていた。豪族の古墳が複数見られることから、古くは有力な豪族が支配した地域と考えられている[3]。「旧高旧領取調帳」によると、幕末には田安領で、69石6斗6升2合であった[3]。 幕末には下総野鎮撫府、下総知事県の管轄となり、1869年(明治2年)には葛飾県、1871年(明治4年)には印旛県の管轄となり、1873年(明治6年)の大区小区制では第十四大区六小区となったが、これは本来は仮定であり、実地不便の向きもあるということを理由に第五大区七小区へと再編されている[3]。また、同年千葉県となる。1875年(明治8年)には千葉県から茨城県に移管され、第九大区二小区となる。1878年(明治11年)の郡区町村制で大区小区の区分けは廃止され、同時に相馬郡が利根川を境に南相馬郡と北相馬郡に分離し、北相馬郡同地村となる。1889年(明治22年)3月1日には同じ北相馬郡の市之代村、上高井村、貝塚村、下高井村と合併し、同地は高井村の大字となるが、同地は立地上交通や経済の面で守谷町に大きく依存していることから、町村合併時の機運が高まると守谷町との合併を希望する声が高まった。高井村の村長もそれを了解し、高井村村議会を経て同地の守谷町への合併を申し入れた[3]。そして、1955年(昭和30年)2月15日に守谷町の一大字となり、その後高井村の各大字は取手町の大字となった。合併当時の人口は190人、戸数は30[4]。2002年(平成14年)2月2日の守谷市の市制施行により、同地は守谷市の大字として現在に至る。 沿革
世帯数と人口2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
施設
脚注関連項目
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