吉國マツ
吉國 マツ(よしくに マツ、1870年3月11日(明治3年2月10日)- 1979年4月11日)は長寿日本一であった女性。晩年は大分県に居住していた。 来歴現在の山口市に生まれる。広島市に移って呉服商の一人娘として育つ。結婚するも離婚し、2度目の夫とは死別した[1]。1945年に広島で被爆し、1948年から大分県別府市の別府老人ホームに入所していた[2]。 1976年9月発表の全国高齢者名簿では8位であった[3]。 1977年8月、大阪府の川平小梅の死去により、107歳で長寿日本一の女性となり、1978年、新潟県の佐藤増太郎の死去により長寿日本一となる。存命時は泉重千代の記録が認定されていたため、泉に次ぐ日本2番目の長寿として報じられていた[4]。 1979年4月11日、大分県別府市で死去した[5]。109歳没。長寿日本一は北海道の古平コハルとなった。 脚注
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