北村紗衣
北村 紗衣(きたむら さえ、1983年〈昭和58年〉[2]4月12日[4] - )は、日本のイギリス文学者、批評家[21][22]。キングス・カレッジ・ロンドンPh.D[7]。シェイクスピアや舞台芸術史、フェミニスト批評を専門に扱う。ウィキペディアの執筆者・編集者(ウィキペディアン)で、「英日翻訳ウィキペディアン養成プロジェクト」などの活動がある[9][10][1]。武蔵大学人文学部英語英米文化学科講師、准教授を経て[23][16]、2023年現在同大学教授[24][25]。表象文化論学会では理事や企画委員長を歴任[19][20][26]。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』[11][12][13]や『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』[14][15][16]、『批評の教室』[17]などがあり、共感覚でも編著がある[27][28]。 来歴生い立ち1983年に北海道士別市で生まれる[2][3]。父親[5]の北村浩史[29][30]は道北日報社長を務めた。祖父[21]に文学批評家[21]で道北日報社元社長[31]の北村順次郎がいる。中学生の頃にレオナルド・ディカプリオ主演の『ロミオ+ジュリエット』の映画を見て、シェイクスピア作品に興味を持つ[18][32]。 北海道旭川東高等学校へ進学し、部活扱いの図書委員で3年間活動した[33]。高校生の時に親戚が残した蔵書の『第二の性』を読むことに挑戦し[32]、『嵐が丘』を読んで翻訳者の評に疑問を持ったと述懐している[16]。2001年に北海道新聞社の第39回有島青少年文芸賞作品集に「Drive my car crazy」が掲載されている[34][注 2]。 シェイクスピア研究高校を卒業後に東京大学へ進学し、学部時代は留学を目指してアルバイトをしていたという[35]。2006年3月に東京大学教養学部超域文化科学科表象文化論を卒業し、2008年3月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論修士課程を修了[35]。修士(学術)取得[20]。この間、河合祥一郎と高田康成から指導を受け[6]、修士課程で『アントニーとクレオパトラ』を研究対象とする[36]。大学院時代の友人に森山至貴がいる[37]。 2008年4月に日本学術振興会特別研究員 (DC1) として同博士課程へ進学し[35][38]、「エリザベス朝及びジェームズ朝の悲劇における女性の表象」を研究テーマとした[38]。伝統的なクレオパトラ文学におけるシェイクスピア作品の位置付けを探り、月経や妊娠がルネサンス時代のイギリスで如何に表現されていたか調査した[36][39]。また、クィア批評の観点から蜷川幸雄演出の『お気に召すまま』についても掘り下げた[36][39]。 2009年10月に特別研究員を辞退して東京大学大学院を休学し、渡英してキングス・カレッジ・ロンドン英文学科博士課程に入学する[35]。東京大学大学院は2012年9月に退学した[35]。ジェンダーとシェイクスピアの受容について研究を深め、2013年4月に同カレッジへ博士論文を提出して帰国[35]。2013年10月にキングズ・カレッジ・ロンドンでPh.D.(博士号)を取得した[35]。日本に帰国後は雄松堂書店古書事業部に契約社員として勤務しつつ[35]、慶應義塾大学文学部[注 3]や東京大学教養学部[注 4]で非常勤講師を担当する[19]。 武蔵大学講師・准教授時代2014年、武蔵大学人文学部英語英米文化学科の専任講師に着任[19][20]。同年、SNSを活用してシェイクスピア作品の受容調査を実施[40]。2015年10月からWebマガジン『messy』で連載を持つようになり(後に掲載メディアは『wezzy』に移行)[28][41][8][42]、2016年に北村が編集を務めた共感覚に関する書籍が出版された[27]。一方でウィキペディアで活動し、それを活用した授業も展開した[1][9][10](節「#ウィキペディアでの活動」も参照)。 2017年に武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授に就任[19][20]。2018年に早稲田大学エクステンションセンターで講座「あなたがまだ知らないかもしれないシェイクスピア」の講師を務め[43]、朝日新聞のシェイクスピアに関する連載にも協力[44][45]。2017年3月に単著『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち ―近世の観劇と読書―』が刊行され[46]、同著は翌2019年に表象文化論学会の学会賞や[11]、奈良女子大学のアジア・ジェンダー文化学研究センターの「女性史学賞」も受賞した[12][13]。 2019年に『messy』や『wezzy』での連載記事をもとに、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か ― 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門 ―』を出版[8][42][16]。同書でフェミニスト批評の観点から『アナと雪の女王』や『ファイト・クラブ』、『バニシング・ポイント』を批評し[32][47][23]、バーレスクについても論じた[32]。2019年に「近世イングランド演劇の上演史における「男性美」観の変遷」で科研費に採択され[48]、2020年にフェミニズム第四波について整理した論考を『現代思想』に発表した[49][注 5]。 2021年9月に新書で『批評の教室 ― チョウのように読み、ハチのように書く ―』を出版[17][50][注 6]。これは発売後4か月で4刷を数え[51]、2022年1月時点で5万部を超えた[17]。SNSで誰でも情報発信が可能になっており、批評をする上で基礎を学びたい情勢に合致したヒットと分析されている[17]。 武蔵大学教授時代2023年4月現在、武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授[24]。大学院人文科学研究科では欧米文化専攻を担当し[25]、科研費では基盤(C)で「近世イングランドにおける女性とパブリックスピーキング」のテーマが採択されている[53]。同年6月にはカルチャーエッセイ集『英語の路地裏 ― オアシスからクイーン、シェイクスピアまで歩く ―』を出版[54]。 人物2019年のインタビューでは年に260冊ほどの読書をこなし、年に100回映画館へ、年に100本の舞台を見に行くと語っている[22]。生きた英語教育として文学の重要性を説き[55]、大学のゼミでは演出家視点で作品を分析してもらうことがある[18]。SNSでどのようにシェイクスピア作品が受容されているかを研究した[40]。「時代の試練を生き延びた古典的な芝居には、過去のことを描いているようでいて実は現在に通じるところがある」と指摘し[56]、シェイクスピア作品のビジネスとしての側面に分析を加えた[57]。 大学院では女性がどのようにシェイクスピア作品を受容してきたかについて研究を進め[38][35]、イギリスやニュージーランドで800冊に及ぶ16世紀から18世紀のシェイクスピア文献を調査し、書き込みや手紙の分析を行った[32][47][35]。北村はキングス・カレッジ・ロンドン時代にニュージーランドオークランド市立図書館でシェイクスピア全集のサード・フォリオを調査し、当時の所有者の手紙を発見した[35]。 ウィキペディアでの活動北村は2010年から利用者名「さえぼー」[注 7][59][60]でウィキペディアに参加し編集者としての活動を始め[1]、自身の授業で「英日翻訳ウィキペディアン養成プロジェクト」を毎年手掛けている[9][10]。日本科学史学会大会ではウィキペディア編集に関するパネルディスカッションを企画[59]。2019年9月28日に山田晴通が実行委員として開催した「大学におけるウィキペディアの利活用と課題」では、渡邊智暁らとともに登壇した[61]。 アート+フェミニズムでも講師を務めるなど、エディタソン活動も展開[62]。2019年にラジオやテレビでウィキペディアンとして出演[60][63][64](「#出演」節も参照)する。池袋暴走事故に伴うウィキペディア上の編集合戦では『朝日新聞』の取材に答え、ウィキペディア日本語版はプライバシーの基準が厳しく訴訟リスクを重視していると指摘した[65]。 女性の編集者が少ないこと、女性に関する記事が少ないことについて問題提起し[66]、2019年に日本で初めて開かれた「ウィキギャップ」にも協力した[66]。2020年の情報科学技術協会の会誌への寄稿[67]や、2021年3月22日の『毎日新聞』のインタビュー記事[68]において、英語版ウィキペディアでキュリー夫人の単独記事がなかなかできなかったことなどの事例を紹介し、女性記事では特筆性が厳しく見られていると主張している[67][68]。 受賞歴
著書単著(主著)
(翻訳)
共編著(編著)
個人出版北村は個人出版社としてISBNを取得しており[72]、以下のように表象文化論学会や日本歴史学協会の取り組みを出版している[73][74]。
主な著作学位論文
学会誌・論文
紀要
対談
出演ラジオ番組
テレビ番組脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
(Web連載)
(関連動画)
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