加藤泰幹
加藤 泰幹(かとう やすもと)は、江戸時代後期の大名。別名、泰仁。伊予国大洲藩11代藩主。官位は従五位下・遠江守。 略歴10代藩主・加藤泰済の長男として誕生。幼名は作十郎。 文政9年(1826年)、父の死去により跡を継ぐ。藩財政が幕命による公役で悪化したため、上げ米を行なった。天保2年(1831年)10月には広川の治水工事を行なうなどしている。しかし大洪水や風水害などの天災が相次いで、藩財政はさらに悪化した。このため、5ヵ年の倹約や物価引下げ、さらには諸色値段定を制定して公定価格制度を導入するなど、財政改革に手腕を見せている。 嘉永6年(1853年)正月15日に死去し、跡を長男の泰祉が継いだ。墓所は東京都台東区松が谷の海禅寺。 系譜 |