前原 (船橋市)前原(まえばら、まいはら、まえはら)は千葉県船橋市南部の広域地名である。現行行政地名としては、前原西および前原東が設置されている(詳細は後述)。 地理津田沼駅の北側、成田街道の東西に広がる。域内の地形は一部を除き高低差が少なく、南部の津田沼駅北口付近を除いては、ほとんどが住宅で占められている。 地価住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、前原西2-41-3の地点で22万8000円/m2、前原東3-4-7の地点で20万円/m2となっている。[1] 歴史前原は歴史的には成田街道(旧佐倉街道)沿いに成立した近世の新田村落である。前原の成立は、一般的には江戸時代(延宝年間)とされているが、西部の札場集落はそれよりかなり古く、安土桃山時代の成立とする説もあるが、確証はない。文献上は、摂津国(兵庫県)出身の天野四郎兵衛が開墾請負人となり、上東野新助らによって幕府に開墾許可申請が出され、1673年(延宝元年)に、代官伊奈忠常の検分を受け、開村した。江戸時代は幕府代官領で、前原新田と呼ばれたが、1889年(明治22年)に二宮村が成立するとその大字となった。 戦後は現在の前原西は「前原」、前原東は「宇津木堀」と呼ばれた。1955年(昭和30年)に新町名設定で、船橋市前原町(1~3丁目)、1969年(昭和44年)には住居表示が実施され、新京成線を境に前原西(1~8丁目)・東(1~6丁目)へと変わった[2]。 由来飯山満から見て「前面にある広い野原」というところから来ており、古くは飯山満野(下総台地の一部)と呼ばれていたともいうが、はっきりしていない。 住居表示(前原西・前原東)はかつて、「まいはらにし」「まいはらひがし」が正式な読みだったが、2003年4月1日、それぞれ「まえばらにし」「まえばらひがし」に変更された(船橋市議会 平成15年第1回定例会 議案第41号)。その他の読みは以下の通り。 交通北・中央部は新京成電鉄新京成線前原駅、南東部は同線新津田沼駅、南部はJR総武線津田沼駅、西部は同線東船橋駅が最寄となる。そのうち前原にあるものは前原駅と津田沼駅(津田沼駅の住所は習志野市だが、船橋市にまたがる)。 またかつて新京成線が前原駅から京成津田沼駅までのルートを巡って右往左往していた時代に「藤崎台駅」という駅が習志野市津田沼との境に存在したこともある。 道路は国道296号(成田街道)を中心に町が栄えた。また船橋方面から道標(分岐点)を直進した側の道である東金御成街道は東金市までほぼ直線に作られた道として有名である。 前原西
前原西(まえばらにし)は、前原地域西側の地名。現行行政地名は前原西一丁目から前原西八丁目。郵便番号は274-0825[4]。 世帯数と人口2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]
施設
前原東
前原東(まえばらひがし)は前原地域東側の地名。前原東一丁目から前原東六丁目。郵便番号は274-0824[7]。 世帯数と人口2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]
施設・公園
河川
関連項目脚注 |
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