初島型電纜敷設艇 (はしまかたでんらんふせつてい)は、日本海軍 の電纜敷設艇[ 2] 。同型艦4隻[ 2] 。日本海軍で最初の電纜敷設艇[ 17] [ 注釈 2] 。
概要
電纜敷設艇は要地防衛のために有線爆破型の機雷(管制機雷)や沈置型の水中聴音機を設置する船[ 18] 。いわゆるケーブル・レイヤー(cable layer)で民間船では海底ケーブルの設置だけなのに対し、本型では同時に管制機雷や水中聴音機の設置も可能とする[ 19] 。日本海軍は有線爆破型の機雷として九二式機雷を保有していたが、敷設用の専用艦船はなく、雑役船などで電線を敷設していた[ 17] 。しかしこれでは今後の敷設計画が実施不可能になるために[ 19] 能率的な敷設の出来る艦船を求め[ 17] 、1939年 (昭和14年)度の臨時軍事費(「支那事変に関連する第三次戦備促進」[ 20] )の雑船建造費で専用の雑役船4隻が建造されることとなった[ 21] 。1隻当たりの成立予算は1,760,000円となっている[ 20] 。
本型各艇は1940年 (昭和15年)から翌年にかけて竣工[ 3] 、1番艇「初島」は竣工に合わせて10月25日に雑役船から特務艇 内の電纜敷設艇に類別[ 22] [ 18] 、2番艇「釣島」も同日に電纜敷設艇に類別された[ 23] 。竣工後の各艇は4つの鎮守府 の防備隊にそれぞれ1隻ずつ割り当てられ(本籍が呉の「釣島」は佐伯 防備隊に所属)[ 24] 、電纜敷設や近海の警備に当たった[ 18] 。その他船団護衛にも従事し[ 18] 、「初島」がラバウル 、「立石」がマカッサル海峡 方面まで進出している[ 25] 。1945年 (昭和20年)に入り4隻中3隻が戦没し[ 17] 、唯一残存した「釣島」は逓信省 へ移管、海底電線敷設船「釣島丸」となった[ 1] 。
海上自衛隊 の昭和28年 度艦船の1隻、敷設艦 「つがる 」は本型を改良・近代化した艦だった[ 26] [ 17] 。
艦型
計画番号J21 [ 4] 。基本計画は松本喜太郎 造船少佐(当時)が担当[ 26] 。元々雑役船として計画されたので予算圧縮のため船体は商船形式に準じ、鋼材も軟鋼のみを使用していた[ 18] 。機関も石炭専焼ボイラー、レシプロ機関を搭載し[ 18] 、計画速力は14ノットだった[ 4] 。
電纜敷設の専用設備としては艦橋と煙突の間にスペースを設け、そこに電纜(電線、ケーブルのこと)を納める電纜庫を2カ所設置、電纜20,000mが納められた[ 18] 。上甲板には海底沈置式の水中聴音機4組を搭載し[ 18] 、その取り回し用に12mデリックを船体中央部に装備した[ 26] 。艦首部分にはケーブル用リールを備え[ 18] 、艦橋前の最上甲板には2組の滑車輪、張力計、ウインチが設置され、電纜巻上機が艦橋下の2甲板を貫いていた[ 26] 。
その他に対潜用機雷12個、爆雷9個を搭載、機雷を搭載しない場合は爆雷18個搭載可能[ 26] 。艦尾には機雷敷設用の投下軌条が設置され、その内側に爆雷用軌条も設けられていた[ 17] 。
砲熕兵装としては後甲板に8cm高角砲1基、後部マスト直前の上構上に13mm連装機銃1基を搭載した[ 17] 。
開戦後には九三式探信儀を装備、大戦後半には爆雷を約60個搭載とし、前部船底に水中聴音機を装備した[ 26] 。戦後の「釣島」引渡目録によるとこの時点での機銃装備は、13mm連装機銃は搭載しておらず、25mm連装機銃2基、同単装2挺を装備していた[ 14] 。
同型艦
初島(はしま)[ 22]
1940年10月25日、川崎重工業 艦船工場 (神戸)で竣工[ 3] 。竣工前は艦名を「はつしま」と読んだ[ 18] 。横須賀鎮守府 籍、横須賀防備隊所属[ 27] 。1945年4月28日、三重県 三木崎沖で米潜「セネット」の雷撃を受け沈没[ 18] 。同年7月10日除籍[ 28] 。
釣島(つるしま)[ 23]
1941年3月28日、川崎重工業艦船工場(神戸)で竣工[ 3] 。呉鎮守府 籍、佐伯防備隊所属[ 29] 。佐伯付近で終戦を迎える[ 30] 。1945年11月30日除籍[ 25] 、逓信省へ移管し「釣島丸」となる[ 31] 。1968年 まで海底電線の保守、整備に活躍[ 32] 。
大立(おうたて)[ 33]
1941年7月31日、播磨造船所 で竣工[ 3] 。佐世保鎮守府 籍、佐世保防備隊所属[ 34] 。1945年3月27日東シナ海 で敵機の攻撃を受け沈没[ 25] [ 注釈 3] 。同年7月10日除籍[ 28] 。
立石(たていし)[ 33]
1941年8月31日、播磨造船所で竣工[ 3] 。舞鶴鎮守府 籍、舞鶴防備隊所属[ 35] 。1945年3月21日仏印 沖で米陸軍機 [要出典 ] の攻撃を受け沈没[ 25] 。同年5月10日除籍[ 36] 。
参考文献
海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第10巻、海軍歴史保存会、1995年。
片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。
(社)日本造船学会/編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 。
COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR . ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU (福井静夫/纏め『終戦時の日本海軍艦艇』第二復員局、1947年04月25日)
福井静夫 『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2 。
防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書 第31巻、朝雲新聞社 、1969年。
牧野茂 、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 。
雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II 』光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4 。
「敷設艇艦 一般計画要領書 附現状調査」。
アジア歴史資料センター(公式) (防衛省防衛研究所)
『釣島引渡目録』。Ref.C08011328400。
『昭和15年1月~12月 達/10月』。Ref.C120701078000。
『昭和15年1月~12月 達/12月』。Ref.C120701078200。
『昭和16年1月~4月 内令 1巻/昭和16年1月(1)』。Ref.C12070149500。
『昭和16年1月~4月 内令 1巻/昭和16年3月(2)』。Ref.C12070149900。
『昭和16年5月~8月 内令 2巻/昭和16年7月(3)』。Ref.C12070152100。
『昭和16年5月~8月 内令 2巻/昭和16年8月(2)』。Ref.C12070152300。
『昭和18年7月~8月内令3巻/昭和18年7月(3)』。Ref.C12070179100。
『自昭和20年1月 至昭和20年8月 秘海軍公報/5月(3)』。Ref.C12070514700。
『自昭和20年1月 至昭和20年8月 秘海軍公報/7月(3)』。Ref.C12070515500。
『昭和15年12月25日現在 10版 内令提要追録第8号原稿/巻3 追録/第13類 艦船(1)』。Ref.C13071993800。
『昭和16年12月31日現在 10版 内令提要追録第10号原稿巻2,3/巻3 追録/第13類 艦船(1)』。Ref.C13072003500。
『昭和17年6月30日現在10版内令提要追録第11号(中)原稿/第6類機密保護』。Ref.C13072007500。
脚注
注釈
^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』によると爆雷9個(最大18個)、#日本海軍特務艦船史(1997)p .44によると爆雷12個となっている。
^ その他に特設電線敷設船「春島丸」などがあった(#S18.7-8内令3巻/昭和18年7月(3) 画像48-50、S18内令1440)。#終戦時の日本海軍艦艇p .110によると「春島丸」は電纜敷設艇に編入し「春島」に改名したという。
^ #銘銘伝2014p .522では『昭和二十年三月二十七日、薩南諸島の草垣島西方で、米潜水艦「トリガー」の雷撃を受け沈没した。』としている。
出典
関連項目
敷設艦
急設網艦
敷設艇a
特務艇
一等敷設艇b 二等敷設艇b 三等敷設艇b 敷設特務艇c
電纜敷設艇
a. 1944年2月1日 特務艇の敷設艇から艦艇の敷設艇へ変更
b. 1933年5月23日 等級廃止
c. 1944年2月1日 特務艇の敷設艇から敷設特務艇へ変更
d. 特別輸送艦 として竣工
e. 敷設艇籍のまま除籍