兵庫県立鈴蘭台高等学校
兵庫県立鈴蘭台高等学校(ひょうごけんりつすずらんだいこうとうがっこう)は兵庫県神戸市北区にあった県立高等学校。略称は 概観六甲山地に連なる菊水山の中腹に位置し、校地内外ともに緑が多く自然豊かな学校として知られ、校地内に登山道も存在する。また、山を切り開いて学校が建てられているため、敷地内の高低差が大きく、正門側は最大勾配4.5パーセントの車道が、裏門側は100段超の階段がそれぞれ存在する。正門横に三等三角点が設置されており、その標高は350mである。これは、県内の公立高等学校では兵庫県立神戸甲北高等学校に次ぐ2番目の高さである。住所は山田町だが、正門、裏門はそれぞれ中里町と鈴蘭台東町に面している。 校舎は管理棟 (特別教室棟) と生徒棟 (普通教室棟) からなり、渡り廊下などでつながっている。ともに1964年竣工で、管理棟は地上4階・塔屋2階、生徒棟は地上4階である。校舎が古いこともあってバリアフリー設備はあまり整っておらず、エレベーターはない。標高が高く、また北区自体気温が低いことから、冬には各教室に石油ストーブが配備される。一方、周辺の小中学校などで使用されるのはガスストーブである。本校が石油ストーブを使用し続ける理由のひとつとして、普通教室棟にガス設備が存在しないことが挙げられる[注釈 1]。竣工当初は暖炉を使用していた。 沿革略歴1950年代後半から兵庫県内では高等学校への入学志願者が急増し、戦後すぐから旧制中学校や旧制高等女学校を改組して設置されてきた従来の高等学校では需要に対応しきれなくなってきたことから、兵庫県内で戦後初となる完全な新設校として1963年に神戸市兵庫区の北部(現在の北区)に兵庫県立鈴蘭台高等学校が仮設校舎ながら設置された。 しかし2000年頃から少子化が顕在化し、県の財政も厳しいことから、神戸第二学区内の県立高等学校6校を統廃合によって5校に再編する方針が教育委員会で出された。当初は両校の距離が約300メートルと最も近い兵庫県立兵庫高等学校と兵庫県立夢野台高等学校の統合が模索されたが、両校はそれぞれ旧制中学校と旧制高等女学校の流れを汲む学校であり、統合に強く反発した[注釈 2]。そこで、直線距離でも約2.5キロメートルあるものの次に距離が近い鈴蘭台高校と兵庫県立鈴蘭台西高等学校の合併が提案された。2006年両校の統廃合が発表されると、県立高校の再編が地域住民に十分な説明のないまま進められていることについて、県教育委員会に対し改めて説明と統廃合の考え直しを求める反対運動が行われた。 2007年鈴蘭台高校と鈴蘭台西高校は募集が停止され、鈴蘭台高校の校地に兵庫県立神戸鈴蘭台高等学校が新設された。 年表
基礎データいずれも廃止時のデータ。 所在地設置学科
通学区域神戸第二学区自由学区アクセス象徴
校訓校訓は、「勤勉であれ・健全であれ・優雅であれ」である。 校章「髙」をスズランでかこんだものが使用された。 校則
学校行事文化祭文化祭は「鈴高祭」として有名であり、生徒・教員ともに力を入れ、一時は三宮との間にシャトルバスも運行された。伝統であるクラス劇は兵庫県立ピッコロ劇団の指導もあり、有名である。 部活動廃止時点での部活動。 運動部
文化部
同好会
独立委員会
設備
学校関係者と組織学校関係者組織
学校関係者一覧出身者
脚注注釈出典関連項目外部リンク |
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