倉治
倉治(くらじ)は、大阪府交野市の地名。現行行政地名は、倉治1丁目から9丁目と大字倉治。 地理交野市の北部に位置する[6]。倉治1–8丁目は北に枚方市、東に東倉治、南に青山・私部、西に幾野と接している[6]。大字倉治は東倉治の東に位置し、北から東にかけて枚方市、南に大字私部・大字寺、西に神宮寺・東倉治と隣接している[6]。 河川湖沼
歴史江戸時代には倉治村と呼ばれた[7]。河内国交野郡に属する[7]。元和5年(1619年)、倉治村は旗本久貝氏が知行し、文久3年(1863年)に幕府領となった後、慶応元年(1865年)、再び旗本久貝氏領となっている[7]。 村の鎮守は機物神社で[7]、同社に対しては元亀3年(1572年)3月、織田信長が石山本願寺攻めにあたり禁制を掲げ、天正10年(1582年)6月9日、明智光秀が山崎の戦いの前に白銀を奉納している[11]。同年7月9日には、羽柴秀吉も禁制を掲げた[11]。 安永年間(1772–1781年)から寛政年間(1789–1801年)にかけて津村淙庵が『譚海』を著しているが、そこには「くらぢと云所に、源氏の滝といふあり」として倉治の名が現れている[7]。 1881年(明治14年)、倉治村は大阪府の所属となり、1889年(明治22年)に交野村の大字倉治となった[7]。 地名の由来『交野市史 民俗編』には以下の3説が記載される[12]。
沿革
世帯数と人口2024年(令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
学区市立の小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[19]。
施設等
交通鉄道バス道路脚注
参考文献 |