倉橋ルイ子
倉橋 ルイ子(くらはし るいこ、1959年12月9日 - )は、北海道三笠市幾春別出身の歌手。倉橋ルイ華と名乗っていた時期もある。 来歴レコード会社にスカウトされ、約1年半レッスンを受けた後、1981年「ガラスのYESTERDAY」でレコードデビュー[1]。 芸名はレッスンを受けていた時期に世話になり、デビュー曲の作詞者となった岡田冨美子が名付けた。当時岡田の愛読書が倉橋由美子の本であり、その倉橋の作品に中性的性格の登場人物が多かったことからそのイメージを拝借し、フランス語圏の男性名「ルイ」をとって、字画の関係を考えて「子」を付けた[1]。 一時期歌手(芸能)活動を休止していたが1999年4月26日、南青山マンダラにて復活した。 セカンドステージライブでは主にバラードを歌うバラードシンガーである。 1999年、アルバム『My name is Ballad』(1999年8月21日)が発売、以後年3回のライブステージがコンスタントに観られる。 2005年12月16日にNHK BS放送の韓国ドラマ「チェオクの剣」の日本語カバー曲「悲恋歌」(作詞・岡田冨美子)をマキシシングルCDで発売する。 南青山マンダラのライブステージでは毎回前回のライブアンケートのリクエストを参考に、他のシンガーのカバー曲を2〜3曲歌い人気がある。 公式HPは無いがmixi内のコミュニティ「倉橋ルイ子」ではファンの交流が活発に行なわれている。 ディスコグラフィシングル
デュエット
アルバムオリジナル・アルバム
ライブ・アルバム
オムニバス・アルバム
ベストアルバム
タイアップ
テレビ出演
エピソード若い頃は自閉的だったが、歌と出会い克服。 全国ツアーの時など、行った土地でコスモスの種を植え花を咲かせていた。 FMナイトストリート(PAJAMA PRESS)で自身がパーソナリティーを務めた最終回で赤坂泰彦に告白した。「赤坂さん・・・好きでした・・・」 脚注注釈出典 |
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