修行智仁
修行 智仁(しゅうぎょう ともひと、1984年6月29日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。マネジメント会社はジャパン・スポーツ・マーケティング[2]。 経歴立命館大学から、2007年にJFLのガイナーレ鳥取に入団。2年目の2008年に公式戦デビューを飾るものの、井上敦史からポジションを奪えずリーグ戦3試合の出場に留まった。 2009年より同じJFLのFC町田ゼルビアへ移籍。同年は正GKとしてリーグ戦30試合に出場した。背番号を1に変えた2010年は、アビスパ福岡から加入した吉田宗弘にレギュラーを奪われる形となった。2011年は序盤こそ吉田から定位置を奪還したものの、8月27日の東京都サッカートーナメント(東京都天皇杯予選)の専修大学戦で全治4ヶ月の重傷を負った[3]。その後大分トリニータより石田良輔が緊急加入したため、選手枠の都合で9月16日付で選手登録抹消となった[4]。2012年も開幕当初は新加入の相澤貴志の控えだったが、4月15日の栃木SC戦でJリーグ初出場を果たした。以降は定位置を奪取したが、チームはシーズン最下位となり1年でJFLに降格となった。JFLでは相澤に再びレギュラーを奪われ、2014年より発足したJ3でも、新加入の高原寿康とのポジション争いを強いられた。 2015年、J2・大分トリニータへ完全移籍[5]。初年度は武田洋平の控えに甘んじてリーグ戦1試合と天皇杯2試合の出場に終わった。チームの降格に伴い自身2年ぶりのJ3となった2016年は背番号を1に変更。開幕当初は上福元直人の控えだったが、8月7日の第20節・福島ユナイテッドFC戦でスタメン出場を果たすと、以降最終節まで11試合連続で先発出場。出場した試合では10勝1分1敗、内8試合が無失点と守備の安定をもたらし、大分のJ3優勝及び1年でのJ2復帰に貢献した。 J2復帰後の2017年・2018年の2年間は天皇杯2試合の出場に留まったが、試合に出られない選手に対してはトレーニング中に「腐っている時間がどれだけ無駄な時間を過ごすことになるのか」と説いたり[6]、食事に誘い、他愛の無い話をして心を解きほぐしたり[6]とチームのメンタルリーダーの役を担った[7]。J1昇格を決めた2018年シーズン終了後、「選手として僕が大分でやれる事はもうありません」というコメントと共に契約満了が発表され、大分を退団した[8]。 2019年より、当時JFL所属のFC今治に移籍[9]。 今治では出場機会を得た。 2020年シーズはスタメン出場を続けたが、8月9日の藤枝MYFC戦で負傷。右足長内転筋筋腱移行部部分損傷で全治3~4週間程度の診断が下された[10]が回復し、シーズン中に復帰を果たしている。 2024年11月28日、現役引退を発表した[11]。 2025年からは、FC今治のGKコーチを務める[12]。 所属クラブ
個人成績
タイトルクラブ
注釈
関連項目外部リンク
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