佐々木紀子

ささき のりこ

佐々木 紀子
生誕 (1930-01-30) 1930年1月30日(94歳)
大日本帝国の旗 大日本帝国東京府東京市
配偶者 佐々木繁弥(2003年に死別)
子供 長女・佐々木由美子
長男・佐々木繁俊
次女・
父・渋沢敬三
母・渋沢登喜子
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佐々木 紀子(ささき のりこ、旧姓:渋沢、1930年昭和5年〉1月30日 - )は、実業家・佐々木繁弥の妻。曽祖父は渋沢栄一、祖父は渋沢篤二、父は渋沢敬三[1]。兄に渋沢家当主の渋沢雅英渋沢紀美(夭折)[1]。妹に生物学者の服部黎子[1]

経歴

1930年1月、子爵・渋沢栄一の嫡孫・渋沢敬三と妻・登喜子の長女として東京府に生まれる[2]。余談であるが登喜子の父(母方の祖父)は京都府知事・木内重四郎。登喜子の祖父は実業家・岩崎弥太郎

1954年に渋沢子爵家ゆかりの佐々木一族の佐々木繁弥と結婚した[2]。また繁弥は兄・雅英の友人でもある。夫婦仲は良好で結婚翌年の1955年に長女・由美子を、その翌年の1956年には長男・繁俊を出産している[2]。また実業家にならなかった兄の雅英に代わり、渋沢家の事業を引き継いだ夫の繁弥を良く支えたという。

家族・親族

曾祖父の渋沢栄一。
父の渋沢敬三。
  • 曾祖父・栄一1840年 - 1931年、子爵、第一銀行頭取、東京市養育院長) - 住所は東京市深川区福住町から、日本橋区兜町、東京府北豊島郡滝野川町西ケ原
  • 曾祖母・千代(1841年 - 1882年、尾高惇忠の妹、栄一の従妹)- 栄一同郷幼馴染み、祖父・篤二の実母。
  • 祖母・敦子1880年 - 1943年伯爵橋本実梁の娘で、橋本実頴の妹) - 夫・篤二の廃嫡が正式に決まった直後に敬三ら3人の子供を連れて三田綱町の屋敷を出て、数年間にわたり本郷西方町、高輪車町、駒込神明町などの小さな借家を転々とする。
  • 祖父・篤二
    明治5年(1872年)生 - 1932年(昭和7年)10月没。
    栄一・千代夫妻の長男。10歳で母・千代を亡くし、父・栄一が再婚したため、姉の穂積歌子陳重夫婦に養育される。1886年、14歳で龍門社社長となり『龍門雑誌』刊行開始。1892年、20歳で第五高等学校中退、栄一に謹慎を命じられたのち、1895年、23歳で結婚、翌1896年、敬三誕生。翌1897年、栄一により渋沢家直轄事業として澁澤倉庫部が設立され、倉庫部長に就任(のち取締役会長)。1899年、義兄穂積陳重の渡欧に随行、各国を歴訪し帰国後、第一銀行に勤務。趣味多く、写真撮影、常磐津都都逸なども玄人はだしの才人で、1911年には新聞に新橋芸者・玉蝶(本名・岩本イト、1887年 - 1955年)との仲が報じられる。敬三が18歳となった1913年に栄一の決定により篤二を廃嫡とし、篤二の長男・敬三を嫡孫とした。
  • 父・敬三1896年 - 1963年子爵、渋沢同族社長。澁澤倉庫取締役、第一銀行副頭取、日本銀行総裁、大蔵大臣) - 東京市深川福住町生まれ。
  • 叔父・信雄1898年 - 1967年、福本書院、独逸書輸入書籍商、澁澤倉庫監査役)- 東京市深川福住町生まれ。
  • 叔父・智雄1901年 - 1947年、澁澤倉庫常務取締役)- 東京市深川福住町生まれ。
  • 夫・繁弥 (1925年-2003年)。1954年に紀子と結婚。
  • 長女・由美子 (1955年- )[3]
  • 長男・繁俊 (1956年- )[3]
親戚

系図

脚注

  1. ^ a b c 父・渋沢敬三 〔3〕 / 渋沢雅英 渋沢敬三アーカイブ
  2. ^ a b c 父・渋沢敬三 〔4〕 / 渋沢雅英 渋沢敬三アーカイブ
  3. ^ a b 父・渋沢敬三 〔6〕 / 渋沢雅英 渋沢敬三アーカイブ

関連項目