今出川清水
今出川清水(いまでがわしみず)は、広島県安芸郡府中町石井城一丁目2番街区にある湧水である。1985年(昭和60年)名水百選[1]の一つに指定されている。また、府中町指定の名勝にも指定されている[2]。 名水百選選定時から2012年まで、環境庁への届け出時のミスで出合清水(であいしみず)とされ、120m離れた先に存在する『今出川湧水』との名称の取り違えが明らかになった[3][4]。 この項目では、今出川清水・出合清水など周辺部にある湧水についても合わせて触れる。 概要水源は水分峡から浸透した地下水という説と[5][6]、太田川水系府中大川支流「榎川」の扇状地扇端部の伏流水との説がある[1]。 記録に残っている範囲では、『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年)や『安永七年総社八幡差縺覚』(1778年)、『芸藩通志の付図』(1825年)、『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)などに記載がある[3]。以前は、同様の湧水が周辺に多く存在したが、農業の衰退により一部を除いて消滅した[7]。2011年には海田酒販組合が、水源とされる水分峡の地下水をペットボトルに詰めた『水分峡のうまい水』を3600本製造し販売した[8]。また、同じ水源とされる湧き水で、近くにある『田所明神社』(北緯34度23分56.8秒 東経132度30分35.5秒 / 北緯34.399111度 東経132.509861度)の『田所神水』は飲用することが出来る[補足 1]。 今出川清水別名『東川』[9][10][補足 2]。名水百選選定時から2012年まで『出合清水』とされていた。 古くから近隣住民の生活用水として大切に管理されており、石造の貯水池は湧出口から順に飲料水用、食料品の洗浄水用、洗濯用に区切られ整備されている。水天宮を祀り今も大切に管理されている[11]。 1974年の新聞に、1950年頃に水道が引かれるまで、地域の住民が洗顔や洗濯、米とぎなどに清水が使われ、近くの子供や主婦が、敷石がツルツルのためよく転落したことや、おしめ替えの時にすぐに洗濯することで3組で足りたと、記録が残っている。また、1974年頃は清水を利用する20軒あまりが共同で月に1回、水替えや泥さらいを行っていた[12]。 以前は飲料水としても使われていたが、周辺部の宅地化の進行や道路整備により水量が減少したほか、1988年(昭和63年)以降の水質調査で大腸菌が検出[5][6]、1990年夏に基準の200倍の大腸菌が検出され『煮沸して飲んでください』の看板設置[13]。1993年(平成5年)以降、教育委員会により『この水は飲めません』と看板が設置された[5][6][13]。 2010年以降、名水再生の活動が活発化し、2010年にはマツダ工業技術短期大学校が、ブラシによるコケや汚れの清掃および濁り水のくみ出しが[5][14]、2011年には地域住民による守る会が結成され、ポンプにより水をくみ出した後で、底の清掃を行った[6][15]。 『芸藩通志』に古歌として
と詠まれている[16]。
出合清水
別名『出井清水』[17][10][補足 3]。名水百選選定時から2012年まで『今出川湧水』とされていた。 今出川清水の南東側120m離れた位置にあり、周辺部には古代安芸国の国府があり、総社跡や田所屋敷跡(田所明神社)などに隣接し、今出川清水などと共に聖なる水として、お供えされた[18][19]。以前は、『芸州厳島図会』に描かれた通りの大きな清水で、当地にあった岩盤が洗い場の機能を果たしていたが[19]、何度も水害により埋もれ、そのたびに掘り起こされたが[19]、その後、水の逆流で埋められ[19]、現在のような小さな清水になっている。 『芸藩通志』に、先の古歌の他に
と詠まれている[20]。
名称の取り違いの判明2012年10月に、近くに在住する大学名誉教授の調べで、約120m離れた所にある『今出川湧水』との名称の取り違えがあることが判明した。『芸藩通志の付図』(1825年)や『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)を確認した結果、取り違えの事実が判明した[3][4]。 『安永七年総社八幡差縺覚』の「一、御殿の前に井戸がある。この井戸を出井の清水と言い、その脇に今出川という川がある」との記述[21]より、出合清水と今出川清水が別個に存在すること[補足 4]。 『芸藩通志』の府中村の地図や[23][24]、『安芸郡和庄村より矢賀村迄道筋袖控』の地図[25]に西側に今出川、東側に出合清水の記載があること。『芸州厳島図会』の絵図に田所宅(田所明神社)の東側、および総社の南側に「居出井清水」の記述があり、出合清水の位置が確認できること[26][27]。『芸州府中荘誌』の『今出川は石井城坂本氏の下の泉なり』[16][補足 5]などの記述。周辺住民への聞き取りや、1974年に発行された中国新聞の記事に「通称東川。”いまいで川”とも記述されている」[12][補足 6]の記述があることなどが確認された[3]。 同年7月に開催された審議会で参加7人で確認された。今後、町史や案内板の訂正を予定している。取り違えた理由として、1978年に発行された町史に写真付きで間違えて掲載されたことより、それを元に報告したことが名称の取り違えの理由と思われている[3][補足 7]。 11月17日に、町内の施設で『出合清水名称訂正説明会』が開催された[29]。
交通
補足
参照
参考文献・サイト文献
サイト
関連項目外部リンク
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