京都市立乾隆小学校
京都市立乾隆小学校(きょうとしりつ けんりゅうしょうがっこう) は、京都市上京区にある公立小学校。 概要明治2年(1869年)9月に上京第1番組小学校として開校した[5]。同年に京都で設立された64の番組小学校の一つである。 校名の乾隆は、1876年(明治9年)7月に、山田豊圓・橋本伝造により御所の乾(西北)の方角にある学区の隆昌を願い名付けられたとされる[6][注釈 2]。1735年~1796年にかけて在位した中国清朝第6代皇帝で、文化方面でも多くの業績を残した乾隆帝にあやかったとの説もある。 幾度の校名の変更を経て、開校から78年後の1947年(昭和22年)の4月には、現在の京都市立乾隆小学校に改称された。また、1999年(平成11年)には、築後61年の旧校舎の改築が決定し、その2年後の2001年(平成13年)に、現在の鉄筋コンクリート造一部4階建ての新校舎が完成した[7][8][9]。 本校では、西陣地区であるという特性を生かし、京都の伝統産業である西陣織を、総合的な学習の時間において小学3年生から学んでいる[10]。 沿革
所在地
通学区域乾隆小学校の通学区域は、後述の乾隆学区と嘉楽学区の一部である。嘉楽学区にあった当時の嘉楽国民学校(のちの嘉楽中学校)は昭和18年(1943年)に高等科のみとなり、以降、嘉楽学区の一部が乾隆小学校の通学区域に含まれることになった[1]。 著名な卒業生
乾隆学区乾隆学区(けんりゅうがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる乾隆小学校のかつての通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。 明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第1番組に由来し、同年には、区域内に上京第1番組小学校(のちに乾隆に校名を改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第3区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第3組となった[12]。学区制度により明治25年(1892年)には上京第17学区となった[13]。 昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第17学区から乾隆学区となった[12]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[14]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。 人口・世帯数京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[15]、乾隆学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第7国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は2,908人、1,575世帯である。 地理上京区の北西部に位置する学区であり、東側は成逸学区と西陣学区、南側は嘉楽学区、西側は翔鸞学区、北側は北区(紫野学区と柏野学区)に接する。概ね区域は、東は浄福寺通、西は千本通、北は廬山寺通、南は五辻通であり[12]、面積は0.226平方キロメートルである[注釈 4]。 乾隆学区内の通り乾隆学区の町名
周辺乾隆学区内の主な施設
脚注注釈
出典
参考文献
関連文献
関連項目外部リンク |
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