京極駅
京極駅(きょうごくえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡京極町字京極にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である[1]。電報略号はケフ。事務管理コードは▲131913[3]。 1980年(昭和55年)9月まで運行されていた急行「いぶり」の停車駅であった。また、1970年(昭和45年)まで脇方駅に至る支線の接続駅でもあった。 歴史年表
駅名の由来→「京極町」も参照
1895年(明治28年)12月、旧丸亀藩主京極家の子爵、京極高徳によって、現在の脇方川沿いのワッカタサップと呼ばれていた土地に「京極農場」が開かれた。この農場を中心に周辺に沢山の開拓農場が開かれて、「東倶知安」と通称されるようになり、市街を形成するようになった。その後、1910年(明治43年)に倶知安村からの分村の際にこの市街地名から村名は東倶知安村となった[7]。 その9年後の1919年(大正8年)に当地まで鉄道が開通することとなったが、駅は東俱知安市街から離れた京極農場の敷地が提供されて設置されることとなり「京極駅」と命名されることとなった[8][9][10]。 このことに対して一部の村民から「村長と京極農場管理人の専横である」との強烈な反対運動が起こったが[11]、その後京極農場が解放されると、当駅の存在などを理由に京極村へ改称されることとなった[12]。 駅構造廃止時点で、単式ホーム1面・島式ホーム1面と3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[13]。互いのホームは、駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南東側を結んだ構内踏切で連絡した[13]。駅舎側ホーム(西側)が下りの1番線、島式ホーム(東側)駅舎側が上りの2番線、外側が3番線(但し1983年(昭和58年)時点では側線扱い)となっていた[13]。そのほか、1番線の倶知安方から分岐し駅舎横までの行き止まりの側線を1線有していた[13]。 脇方支線は駅の南方で分岐していた。 業務委託駅となっており、駅舎は構内の南西側に位置し単式ホームに接していた[13]。 利用状況
駅周辺
駅跡2001年(平成13年)時点では、当駅の跡地は農協の貯蔵施設の敷地となっており[15]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[16]。 また2001年(平成13年)時点では当駅跡から倶知安方に行った所にトンネルの石積みの坑口がコンクリートで封鎖されながらも残存しており[15]、2010年(平成22年)時点[16]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[17]。このトンネルの名は「ガル川隧道」であった[17]。 隣の駅脚注注釈出典
参考文献
関連項目
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