緩徐楽章で、ほとんど全体に渡って16分音符の3連符が伴奏として奏される。中間部には、"E♭ - F - A♭ - G"という音形が登場するが、これは彼のその後の作品のいくつかに登場し、特に最後の交響曲である第41番ハ長調 K. 551「ジュピター」の終楽章で有名となったため『ジュピター音型(ジュピター主題)』と呼ばれるが、これはこの音型が初めて交響曲に登場した例となる。
^新モーツァルト全集 (NMA) IV/11/1: Sinfonien · Band 1, Kritischer Bericht (Allroggen/Ferguson, 1999). 自筆譜には「Sinfonia di Sig: Wolfgang Mozart a London(シンフォニア ヴォルフガング・モーツァルトによる ロンドンにて)」とあるが、続けて書かれている「1764」は、音楽出版者ヨハン・アントン・アンドレにより後年記入されたものという。NMA (Vorspann p. IX). は、ヴォルフガングの最初の交響曲創作にまつわる姉ナンネルの回想 (1799, 1800) を根拠に、父レオポルトが病床にあった1764年8月から9月の成立としている。ただし、同書も認めているように、ナンネルの述べる「最初の交響曲」の楽器編成と、K. 16 のそれとは一致しない。
^父レオポルトによる1765年2月8日及び同年3月19日の手紙。及び1765年2月6, 14, 21日付『公衆新聞 Public Advertiser』の広告。なお、2月8日の手紙には"Die Synfonien..."、2月21日付の広告には"All the Overtures..."とあり、複数のシンフォニーが演奏されたことが分かる。しかし、編成・調性等の特徴が述べられていないことから、何が演奏されたかについて確かなことは分からない。