交響曲第1番 (ベートーヴェン)
交響曲第1番 ハ長調 作品21(こうきょうきょくだい1ばん ハちょうちょう さくひん21)は、ベートーヴェンが1799年から1800年に作曲した自身1曲目の交響曲である。ピアノソナタ第8番「悲愴」や七重奏曲、6つの弦楽四重奏曲などともに、ベートーヴェンの初期の代表作として知られている。 ベートーヴェンの交響曲のうち、第1番、第2番はベートーヴェンの「初期」の作品に含まれ、第1番もハイドン、モーツァルトからの影響が強く見られるが、既にベートーヴェンの独自性が現れている[1]。 作曲の経緯詳しい作曲過程については、1800年以前に使用していたスケッチ帳がほとんど現存していないので不明であり、その現存しないスケッチ帳で三重奏曲 Op. 37のスケッチと同時進行の形で進められたのではないかと推定されているが、唯一第4楽章の一部楽想のみは別のスケッチ帳に残されており、作曲開始時期1796年ごろに設定する見解もある[2][3]。脱稿の時期については、1799年の末から1800年初頭の間に比定されている[4]。 作品は当初、旧主で当時ヘッツェンドルフに隠退していた元ケルン大司教選帝侯マクシミリアン・フランツ・フォン・エスターライヒに献呈される予定で、1801年6月22日か23日付のホフマイスター社宛の書簡でもそのように指示が出されたが、マクシミリアン・フランツはそれから約1か月後の7月27日に死去し、旧主への献呈は成就しなかった[5]。その後詳しい経緯は判然としないものの、10月ごろのベートーヴェンからの書簡を経てゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵に献呈されることとなった[6]。 初演・出版1800年4月2日にウィーンのブルク劇場にて、ベートーヴェン自身の指揮により初演[7]。ベートーヴェン自身が主催する最初のコンサートであり、プログラムの最後に組み込まれた[7]。 初演後にピアノ協奏曲、七重奏曲、ピアノソナタとともにホフマイスター社に売り込み、1801年11月にホフマイスター社から出版、翌1802年1月16日付で出版が公告された[8]。この間、1801年4月22日付のホフマイスター社宛の書簡でベートーヴェンは作品番号に関し、ピアノ協奏曲に Op. 19、七重奏曲に Op. 20、この交響曲に Op. 21、そしてピアノソナタに Op. 22と「諸作品が然るべき順序で続くよう」提案している[9]。また、出版直後の1801年11月26日と12月3日には、ホフマイスター社があるライプツィヒで早くも演奏された形跡がある[10]。その後、1809年にロンドンのチャンケッティーニ&スペラーティ社から、下って1822年にはジムロックからそれぞれスコア譜が出版された[11]。 楽器編成
曲の構成
演奏時間は約30分。
脚注出典
参考文献
外部リンク
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