井上正和

 
井上正和
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保4年(1833年
死没 明治4年11月14日1871年12月25日
改名 松三郎(幼名)、正和
戒名 玄勇院広山日仁or玄勇院広山日成大居士
墓所 東京都文京区白山の浄心寺(染井霊園に改葬)
官位 従五位下筑後
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定家茂慶喜
下総高岡藩
氏族 井上氏
父母 父:井上正瀧、養父:井上正域
兄弟 正域正和永井直哉大久保忠寿正室
正室:諏訪忠恕の娘
正順
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井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総国高岡藩の第10代藩主。

8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)、兄の9代藩主・正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継いだ。嘉永元年12月24日(1849年)、従五位下、筑後守に叙位・任官する。嘉永4年(1851年)9月8日、日光祭祀奉行に任じられる。嘉永6年(1853年)に大坂加番に任じられる。文久2年(1862年)には江戸藩邸に藩校・学習館を創設した。

慶応3年(1867年)3月28日、長男の正順に家督を譲って隠居した。明治4年(1871年)11月24日、死去。

系譜

父母

正室

子女