井上正森

 
井上正森
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝永7年(1710年
死没 寛政12年5月13日1800年7月4日
改名 六之助・宮内(幼名)、正森
戒名 玄智院周山日輝
墓所 東京都文京区白山の浄心寺→染井霊園
官位 従五位下山城
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
下総高岡藩
氏族 井上氏
父母 父:井上政蔽、養父:井上政鄰
兄弟 政鄰忠郷正豊政経正森久保勝政の養女、鳥居成昭室、大沢基貫の養女、松前端広室、飯塚昭之の養女、渋江胤直室(井上政武の養女)、座光寺為慮
男子、井上正国正室、井上正在室、井上正乗婚約者、菅沼定賢正室(のち久永章温室)
養子:正国
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井上 正森(いのうえ まさもり)は、下総国高岡藩の第5代藩主。

宝永7年(1710年)、3代藩主・井上政蔽の六男として生まれる。享保15年(1730年)2月3日、4代藩主の兄・政鄰の養子となる。享保16年(1731年)8月7日、兄の隠居により家督を継ぎ、12月に従五位下、山城守に叙位・任官する。享保20年(1735年)に大坂加番に任じられた。

実子は早世していたため、宝暦5年(1755年)、尾張藩主・徳川宗勝の十男である松平勝斯(井上正国)を養子に迎える。宝暦10年(1760年)12月7日に隠居した。

寛政12年(1800年)5月13日、死去。享年91。

系譜

父母

子女

養子