乾和宣

 
乾和宜
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 元亀元年4月26日1570年5月30日
別名 通称:九十郎、作兵衛
戒名 月心宗明禅定門
墓所 美濃国池田郡東野村、乾家歴代墓所
主君 織田信長
氏族 乾氏
父母 父:乾重頼
稲葉福正坊
和信宜光和三
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乾 和宜(いぬい かずよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田氏の家臣。

来歴

乾氏清和源氏土岐氏頼貞流の流れを汲む名門であった。

乾(土岐)重頼の嫡子として美濃国池田郡東野村[1]にて誕生。

父・重頼は当初土岐氏を称したのち乾氏に改めた。重頼は大永2年(1522年)の小野山の合戦(一説には永正15年の合戦)で討死したという。

和宣は織田信長に仕えたが、元亀元年(1570年)に越前国朝倉氏との金ヶ崎の戦いにおいて討死した。

系譜

脚注

出典