中野オデヲン座
中野オデヲン座(なかのオデオンざ)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8]。東亜興行が新宿・歌舞伎町に進出する以前の1950年(昭和25年)12月、東京都中野区の鍋屋横丁に開館した[5]。当初の館名は中野ロマンス座(なかのロマンスざ)であった[9][10][11]。1979年(昭和54年)7月13日に閉館[7]。 閉館後27年を経て、映画『地下鉄に乗って』(2006年)のなかで、撮影用セットとして外観が再現されたことで知られる。 沿革データ概要1950年(昭和25年)12月、都電杉並線鍋屋横丁電停北側に開館した[5][6]。前年の1949年(昭和24年)8月、阿佐ケ谷駅北口に「阿佐谷オデヲン座」を開館して創業した高橋康友の東亜興行株式会社が、阿佐ヶ谷についで2館目に開業した映画館である[1][5]。同館の当初の名称は、1954年(昭和29年)ころまでは「中野ロマンス座」であった[9][10][11]。1957年(昭和32年)までには「中野オデヲン座」に改称している[2][8]。東亜興行は、同館を開館した翌年の1951年(昭和26年)11月には「新宿オデヲン座」を開業、これは新宿区歌舞伎町に建てられた映画館としては、林以文(ヒューマックス創業者)の「新宿地球座」(のちの新宿ジョイシネマ)に次ぐ第2号であった[1][5]。当時の東亜興行株式会社の本社所在地は、1955年(昭和30年)12月に歌舞伎町に「グランドビル」が建つまでの当初、阿佐ヶ谷オデヲン座にあった[12]。 中野ロマンス座の時代から中野オデヲン座の初期にかけて、同館は、外国映画(洋画)の三番館、つまりロードショーを終えた作品をその2週後に上映する劇場で、たとえば1953年(昭和28年)6月には、同年4月18日に日本公開された『ナイアガラ』(監督ヘンリー・ハサウェイ)[13]、前年の1952年(昭和27年)3月7日に日本公開された『シンデレラ』(監督ウィルフレッド・ジャクソンほか)[14]、および同年6月15日に日本で公開された『女王戴冠』(監督キャッスルトン・ナイト)[15]が三本立てで公開されている[注釈 1]。 同館が建つ前、とくに第二次世界大戦前の中野・本町通には、1939年(昭和14年)に寄席「光風亭」から映画館に業態変更した光風キネマ(本町通一丁目26番地、中野坂上)、1923年(大正12年)の震災前に開館して焼け残った松竹キネマ直営の中野城西館[16][17](本町通四丁目8番地、現在の中央三丁目32番)、1921年(大正10年)に開館した中野館[17](本町通四丁目36番地、現在の中央四丁目2番)の3館が存在した[7][18][19][20]。1944年(昭和19年)の強制疎開で取り壊され、あるいは空襲で焼失し、いずれも閉館した[7]。戦後は、中野城西館のみが現在の中央3丁目25番の場所に移り、再建された[7][8]。中野城西館は1960年前後には閉館しており、鍋屋横丁の映画館は同館のみになった[2]。1961年(昭和36年)2月8日、営団地下鉄荻窪線(現在の東京メトロ丸ノ内線)が開通して新中野駅ができ、1963年(昭和38年)12月1日、都電杉並線が廃止され鍋屋横丁の電停もなくなった。 1979年(昭和54年)7月13日、閉館した[7]。東亜興行の経営する映画館でもっとも早く閉館した映画館である[5]。閉館後の同地は「オデヲン中野パーキング」として、東亜興行が駐車場経営を行ったが、2001年(平成13年)5月には、跡地に10階建マンション「シャルムコート新中野」が竣工、分譲された[21]。 2006年(平成18年)10月21日に公開された映画『地下鉄に乗って』(監督篠原哲雄)は、同館が所在した鍋屋横丁を舞台のひとつとしており、そのため、静岡県伊東市銀座元町の商店街をロケセットとしたなかに、新中野駅や商店街とともに1964年(昭和39年)設定における同館が、オープンセットとして設営・再現された。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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