中根千枝
中根 千枝(なかね ちえ、1926年(大正15年)11月30日 - 2021年(令和3年)10月12日)は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。日本の社会構造を分析した『タテ社会の人間関係』(1967年)は長く読まれている。東京大学名誉教授。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。著書に『未開の顔・文明の顔』(1959年)、『適応の条件』(1972年)、『中国とインド』(1999年)など。 女性初の東大教授[1]。女性初の日本学士院会員[1]。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった[注 1]。 来歴東京府豊多摩郡戸塚村(現・新宿区)生まれ。父親は弁護士であった。愛知県岡崎市に移り、岡崎市立投尋常小学校(現・岡崎市立根石小学校)に入学[2]。6年生の秋まで在学したのち中国に渡り、6年ほど、北京で暮らす[3]。東京府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)、津田塾専門学校外国語科卒業[注 2]。東京大学文学部東洋史学科卒、同大学院修了[4]。 東北から鹿児島までの農村の調査を経た後、人類学の研究を世界各地で行う[5]。1953年(昭和28年)にインドに3年、1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)にかけてはイギリス、イタリア、その他シカゴ大学、ロンドン大学で研究を積む[5]。インドの奥地アッサムを探検、調査したものをまとめた『未開の顔・文明の顔』を1959年に刊行し、毎日出版文化賞を受賞[4]。 その後日本に戻ると、月刊誌『中央公論』から「どんなテーマでもいいから論文を書いて」といった注文を受け、「日本の集団構造はどこでも同じ」というテーマを思いつく[5]。ホテルにこもり、2週間ほどで「日本的社会構造の発見」(『中央公論』昭和39年5月号)を書き上げたところ、猪木正道がその論文を評価した事も手伝い複数の出版社から書籍化の話を持ちかけられ、論文を加筆・修正した『タテ社会の人間関係』を1967年2月に刊行した[3][6]。2015年(平成27年)現在までに124刷116万部超のロングセラーを記録し、イギリスで出版された英語版は、13カ国で翻訳出版された[3]。 女性で初の東京大学助教授、教授、東京大学東洋文化研究所所長(国立大学初の女性研究所長)、女性初の日本学士院会員などを歴任し[7]、1990年(平成2年)に紫綬褒章、1993年(平成5年)に文化功労者、2001年(平成13年)に文化勲章を受章する[4]。 2021年10月12日、都内で老衰のため死去[8]。94歳没。生涯独身を貫いたため喪主は妹が務めた。 略歴
著書下記以外に、外国語に翻訳されたものや外国語資料もある。 単著
共著
編著
共編翻訳
雑誌発表論文
脚注注釈出典
外部リンク |
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