中村屋
株式会社中村屋(なかむらや、英: NAKAMURAYA CO.,LTD.[3])は、東京都新宿区に本社を置く食品メーカーである。 概要一般には「新宿中村屋」の名称で知られる。和菓子、洋菓子、菓子パン、中華まん、レトルト・缶詰のカレーなどを製造販売しているほか、いわゆるデパ地下やショッピングセンターなどで菓子店と(直営店15店)、レストラン(直営店10店)を営業している。また、関東で販売される中華まんのシェアトップを占めており[4]、コンビニエンスストア向け業務用食品にも商品を持つ。2019年(平成31年)3月期の売上比率は、菓子事業76%、食品事業22.5%、賃貸事業1.5%である[5]。 特色現在日本で食べられている中華まんは、1925年(大正14年)から1927年(昭和2年)発売日まで改良を加えられて、日本人の口に合うように工夫されたものである[6][7]。また、クリームパンを日本で初めて販売しており[8]、カレーパンとともに有名である[9]。 沿革
相馬愛蔵(創業者)1901年(明治34年)の創業以来、妻の相馬黒光とともに独創的なパン・食品を作り続けた。1904年(明治37年)にはシュークリームをヒントに現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した[8]。1927年(昭和2年)には現在の中華まんのもととなる「天下一品支那饅頭」を発売[6]。 1918年(大正7年)に娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことをきっかけに、ボースから米(白目米)や鳥(軍鶏)にまでこだわった本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)6月12日に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。このカリーメニューだけは原料の変更時などに社長の決裁が必要とされ、特別な存在となっている[25]。本店のカリーのキャッチフレーズ「恋と革命の味」はここから生まれ、引き継がれている。また中村屋では発売開始日の6月12日を「恋と革命のインドカリーの日」と定めている[26]。 フランスパンを日本で最初に発売した京都の進々堂創業者の続木斎や[27]、山﨑製パン創業者の飯島籐十郎も相馬のもとで勤務していた。 新宿本店には愛蔵・良の人柄に惹かれた文化人が盛んに来店していた。その中にロシアの童話作家ワシリー・エロシェンコもおり、彼がレシピを伝えたボルシチも、前述のカリーと並び本店レストランの開店以来の人気メニューである[28]。ただし、このボルシチはテーブルビートの代わりにトマトを使用したものである。また、エロシェンコが着用していたロシアの民族服ルパシカが店員の制服として採用されている[12]。 不祥事・労働問題2021年(令和3年)12月17日、中村屋と同社の埼玉工場管理課の係長が入管難民法違反(不法就労助長)の容疑で警視庁により書類送検された。警視庁組織犯罪対策1課によると、容疑事実は、さいたま市の人材派遣会社から派遣されたネパール人6人を資格外の活動に該当すると認識しつつも2018年(平成30年)11月から約2年半にわたり埼玉工場の作業員として就労させたものである。ベトナム人なども含めて少なくとも40人を不法就労させた疑いも出ている。この事態について、鈴木達也社長は警視庁の任意の調べにおいて、「考えが甘かった」として業務体制や組織対応の見直しを行う姿勢を示した[29][30][31][32][33]。 レストラン・販売店
(2020年〈令和2年〉10月28日現在) 美術館
主な事業所
閉鎖
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |
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