中央 (北九州市)
中央(ちゅうおう)は福岡県北九州市八幡東区の町名。現行行政地名は中央一丁目から中央三丁目。郵便番号は805-0019。 1992年の区間廃止までは、西鉄北九州線の「中央町電停」が存在したことや、かつての地名から中央町(ちゅうおうまち)とも呼ばれる。 地理旧八幡市、及び北九州市の中央部に位置する。八幡東区の中心地で、地区の北側を東西に国道3号が通っている。地区の中心部を旧電車通り(福岡県道50号八幡戸畑線・福岡県道62号北九州小竹線)及び山手通りが東西に通る。 地域には、八幡東区役所などの行政施設を中心に、八幡製鐵所「東門」の門前町として栄えた八幡中央区商店街、銀行、郵便局などがあり、飲食店やマンション等が建設されている他、各科医院も数多い。 かつての地名や電停名などから「中央町」と呼ばれ、2020年現在でも、旧電車通りと山手通りが交差する中心交差点の名称は「中央町」である。 歴史
もともと当地は筑前国遠賀郡の枝光村・尾倉村の領域であった。1889年に枝光村、大蔵村、尾倉村が合併して八幡村が成立すると、当地もその一部となる。1899年に八幡村は町制を敷き八幡町となり、1917年に市制施行、八幡市となった。 この地が発展するきっかけとなったのは官営八幡製鐵所である。1901年に東田地区に官営製鐵所が建設され、製鐵所の東門が設置された当地は、製鐵所の「企業城下町」として繁栄した。 1902年には八幡高等小学校(現在の北九州市立中央中学校)が創設され、また東田地区にあった岡東小学校も「八幡尋常小学校」(現在の北九州市立八幡小学校)として八幡高等小学校に隣接する箇所に移転し、教育の面でも地域の中心地としての役割を持つようになった。 1911年には九州電気軌道(西鉄の前身)の路面電車である九軌北九州本線(後の西鉄北九州線)が開通し、1923年には枝光線の中央区 - 枝光駅前区間が開通したことから、「中央町電停(戦前は中央区)」は北九州本線と枝光線との結節点として、乗換停留場となった。 戦前から戦後に掛けて当地は「八幡市中央区」という呼び名で呼ばれており、西鉄北九州線の電停名称も戦前・戦中は「中央区」、戦後は「中央町」であった[2]。ただし、街区表示実施前の地番表示時代の正式な地名は「大字尾倉」「大字大蔵」であり、地名としての「中央町」が誕生したのは1960年で、1971年に山王が独立し、街区表示実施後の大蔵・尾倉の一部を併合して現在の「中央」となった。 1932年、中央区電停前に「九州百貨店」が開店した。九州百貨店は戦災で焼失し、戦後は京都の丸物の傘下となり、「八幡丸物」としてオープンしたが、西中央公団住宅内テナントエリアに移転後の1971年に閉店した。その後はユニード八幡店としてリニューアル開業し、企業買収に伴ってダイエー八幡店、ダイエーが運営するダイエーグルメシティ八幡店と店名を変更したが、2009年に閉店した。北九州丸食が運営していたサンク八幡中央町店も2001年に閉店しており、以降は当地に大型小売店舗は存在しない。 西鉄の路面電車は1985年に枝光線全線が、1992年に北九州線の砂津 - 黒崎駅前区間が廃止され、電停も廃止された。以降は路面電車の代替バスが、西鉄バス北九州によってほぼ同ルートを稼働している。 催事
交通
施設
金融機関
脚注
参考文献
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia