与那原親方良頭(よなばるうぇーかたりょうとう、1737年4月4日 - 1803年11月20日)は、琉球王国の官僚。別名として安村親方良頭(やすむらうぇーかたりょうとう)、唐名は馬文瑞(ば ぶんずい)を名乗った。馬氏与那原殿内と称される貴族家系の出身。
1796年、尚温王が江戸へ謝恩使を派遣した際(江戸上り)には、大宜見朝規王子と与那原がそれぞれ正使と副使に任命され、翌年帰沖した[1]。
1798年から1803年にかけては、三司官を務めた[2]。