下東郷村
下東郷村(しもとうごうむら)は、鹿児島県の北西部、薩摩郡に属していた村。 1957年4月1日に下東郷村のうち大字田海の一部が高城村及び東郷町にそれぞれ分割編入され、残部が川内市に編入されたのに伴い、自治体としては消滅した[2]。 地理川内平野の北部、川内川の下流域に位置し、村域は東西2.18キロメートル、南北9.3キロメートルに及ぶ[1]。北部の多くは山地となっており、南部は川内平野の一部を形成している。また、南東部には東郷町藤川から流れる川内川の支流である田海川が東郷町との境界部に流れ、川内川に合流している。 南部の中郷には中郷上池、中郷下池、天神池などの池が多くあり、川内川沿いにある水田の潅水に使用されている。
大字下東郷村の大字は藩政時代の村を継承した田海、白浜、中郷の3大字があった[3]。 1957年4月1日の分割編入により、川内市に編入された区域については「 大字の廃止及び町の新設」(鹿児島県告示)により大字田海は「田海町」、大字白浜は「白浜町」、大字中郷は「中郷町」となり、東郷町に編入された大字田海の区域については「 廃置分合に伴う字の名称変更」(鹿児島県告示)により編入された区域の大字田海を大字藤川に改称する手続きにより既に存在している大字藤川(現在の東郷町藤川)に編入した[4]。また高城村に編入された区域も同様に「 大字名称変更」(鹿児島県告示)によって高城村に編入された区域の大字田海を大字城上に改称する手続きにより、既に存在している大字城上(現在の城上町)に編入した[5][6]。 現在の薩摩川内市田海町、白浜町、中郷・中郷町の全域及び、運動公園町、原田町、東大小路町、城上町、東郷町藤川の各一部が廃止時の村域に当たる。 歴史江戸時代には下東郷村に属していた田海村及び白浜村は東郷町(旧上東郷村)の区域と共に東郷(外城)のうちであった[6]。田海村には郷士集落が形成され[6]、白浜村には川内川の水運の中継地として浦町が形成されていた[7]。 また、中郷村は中郷のうちであり、中郷の地名は平安時代末期から見える。外城としては江戸時代に東郷から分割され設置された外城であり、1村で1外城を形成していた。明治3年に中郷は東郷に統合された[8]。 沿革
行政歴代村長町村制施行以降の村長を記載する。『川内市史 下』の表記に基づく[16]。但し、旧字体については新字体に置換えた。
人口以下の人口遷移表は『川内市史 下』の別紙の記述に基づく。但し、町村制が施行される以前の人口は三村(田海村、白浜村、中郷村)の合計となっている。
地域教育中学校
小学校
交通鉄道道路1957年当時は村内を通る国道はなく、1963年に主要地方道人吉川内線が二級国道人吉川内線(国道267号)に指定され、1965年に一般国道に昇格し国道267号となった。 主要地方道
一般県道
渡船脚注
参考文献
関連項目 |
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