下嶋浩
下嶋 浩(しもじま ひろし、1944年(昭和19年)10月6日 - 1999年(平成11年)8月15日[9])は、機械工学、ロボット工学を専門とする日本の研究者、登山家。東京工業大学工学博士[5]。ロボット国際標準規格に関するISO国際会議日本代表として活躍。ランニング登山[注釈 1]の国際的第一人者としても有名[1]で、「下嶋渓」の名で著書もある[2]。東京工業大学教授在職中の1999年、マッターホルンの登山中に滑落事故で死去[1]。 来歴・人物1944年生まれ、神奈川県出身。高校生の頃から登山を始め[2]、カメラいじりも得意であった[10]。東京工業大学工学部機械工学科を卒業。同期生に林巌、吉澤善男がいた[10]。 東京工業大学大学院修士課程、博士課程を通じて、小川潔教授の元で研究を行う。6節リンク機構などのリンク機構の経路創成機構の研究に取り組み、1972年に博士号を取得[5]。その後も助手として様々なリンク機構の運動解析や機構総合、運動伝達指数の研究に取り組む。1975年頃からランニング登山を始めており、1986年には著書も執筆している[2]。助手から助教授へ昇進し、在外研究員も経験している。 1990年代に入り、ロボットやバイオメカニクス関係[11]の研究を実施していく。ロボットマニピュレータでは、ステッピングモータ[12]や、速度制御型のサーボモータ[13][14][15]など、産業界で使われているアクチュエータに着目して研究を進めた。位置と力のハイブリッド制御[16]、およびフレキシブルマニピュレータにおける位置と力の制御[17]において、実績をあげた。 能動的音響制御の研究も実施しており[18][19][20][21]、フィードバック音響制御として確立していった[22][23][24][25]、バイオメカニクス関係では筋力関係の研究の指導も行っている[26]。また、学術研究のみならず、国際規格におけるロボットの標準化活動で顕著な貢献を果たしている[27][28][29][30]。 1999年には著書「ロボット工学」の出版を迎える[31]が、在外研究員としてスイス連邦工科大学に滞在中の8月に、マッターホルン登山中の滑落事故で死去(54歳)[1]。 略歴
受賞歴社会的活動(学術団体) (標準化委員会)
(快速登山関係)
著作学位論文著書
(分担執筆)
解説
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク(工学関係)
(登山関係)
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