ヴィエリチカ岩塩坑

ヴィエリチカ岩塩坑
ユネスコ世界遺産
ヴィエリチカ岩塩坑内の礼拝堂
所在地ヴィエリチカ, クラクフ郡, マウォポルスカ県, ポーランド
所属ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群
内含
  • ヴィエリチカ岩塩坑
  • ヴィエリチカ製塩所城
登録区分文化遺産(iv)
参照32ter
登録1978年(第2回委員会)
拡張2008, 2013
危機遺産1989–1998[1]
面積970 ha (2,400エーカー)
緩衝地帯250 ha (620エーカー)
ウェブサイトwww.kopalnia.pl
座標北緯49度58分45秒 東経20度3分50秒 / 北緯49.97917度 東経20.06389度 / 49.97917; 20.06389座標: 北緯49度58分45秒 東経20度3分50秒 / 北緯49.97917度 東経20.06389度 / 49.97917; 20.06389
ヴィエリチカ岩塩坑の位置(ポーランド内)
ヴィエリチカ岩塩坑
ポーランドにおけるヴィエリチカ岩塩坑の位置
ヴィエリチカ岩塩坑の位置(マウォポルスカ県内)
ヴィエリチカ岩塩坑
ヴィエリチカ岩塩坑 (マウォポルスカ県)
岩塩製の「最後の晩餐」
1870年ごろの版画[2]

ヴィエリチカ岩塩坑Wieliczka Salt Mine (ポーランド語: Kopalnia soli Wieliczka))は、ポーランド共和国マウォポルスカ県にある岩塩採掘坑クラクフ首都圏内の都市ヴィエリチカ13世紀以来稼働していたが、コストの問題と坑内で洪水が起きる危険性があることから1996年に商業採掘は中止され、現在は観光地となっている。

概要

1044年創業ポーランド王国のクラクフへの遷都1038年)。「キンガ妃の指輪事件」がきっかけとなり国営企業となったのは1250年。廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古で、同時に世界最古の製塩企業でもある。深さは地下 327 m 、全長は 300 km 以上に及ぶ[3](廃坑になっているものも含めると世界最古の岩塩坑は同じくポーランド共和国マウォポルスカ県にあるボフニャ岩塩坑英語版。また現在操業中の岩塩坑でポーランド最大規模のものはヴィエルコポルスカ県クウォダヴァ町にあるクウォダヴァ岩塩坑英語版)。

特筆すべきは、観光客向けの 3.5 km の坑道で、歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像が並んでいる。その全ては、坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げたものである。さらには屈曲した部屋や礼拝堂が岩塩で形成され、岩塩採掘史の展示までがなされている。さながらそこは岩塩製の地下大聖堂のごとき景観を呈しているのである。

この岩塩坑には年間110万人もの観光客が訪れる。長い歴史においてこの岩塩坑を訪れた有名人には、ニコラウス・コペルニクスヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテアレクサンダー・フォン・フンボルトドミトリ・メンデレーエフイグナツィ・パデレフスキロバート・ベーデン=パウエル、カロル・ヴォイティワ(後のヨハネ・パウロ2世)、ビル・クリントンなどがいる。

第二次世界大戦中には、この岩塩坑を占領したドイツ軍がその一部を軍需物資の製造拠点として使用した。

世界遺産

1978年ユネスコ世界遺産に登録された。最初に登録された12件のうちのひとつである。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

危機遺産登録

ヴィエリチカ岩塩坑は1989年危機遺産リストに加えられた。原因は、換気装置に問題があったことから坑内に湿気が溜まり、岩塩製のモニュメントを損ねていたためである。

きちんとした換気装置が据え付けられ、坑内の湿度が適切に保たれるようになったことから、1998年に危機遺産リストからは除外された。

関連項目

参考文献

    • https://muzeum.wieliczka.pl/en
    • Jerzy Grzesiowski, Wieliczka: kopalnia, muzeum, zamek (Wieliczka: the Mine, the Museum, the Castle), 2nd ed., updated and augmented, Warsaw, Sport i Turystyka, 1987, ISBN 83-217-2637-2.
    • Christopher Kasparek, "Prus' Pharaoh and the Wieliczka Salt Mine," The Polish Review, 1997, no. 3, pp. 349-55.
  • 『世界遺産年報2007』日本ユネスコ協会連盟、2006年

脚注

外部リンク