レッドブラフ (カリフォルニア州)
レッドブラフ(英語: Red Bluff)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州の都市。テハマ郡の郡庁所在地である。人口は2000年に1万3147人だったが、2010年には1万4076人と増加した[1]。 レッドブラフ市はレディングの南48キロメートル、チコの北西64キロメートル、州都サクラメントの北201キロメートルに位置する。シャスタ・カスケードの中では3番目に大きな都市である。 歴史レッドブラフの町が建設されたサクラメント川岸に沿った地帯には昔からノムラキ族インディアンが住んでいた。この地域のインディアンは1830年代初期にマラリアが流行した時に、その大半が死んでしまった。1840年代に白人が到着したときは、ヤナ族とウィンタン族インディアンが住んでいた。 1808年にスペインの士官ガブリエル・モラハがサクラメント・バレーの南側を探検したが、ヨーロッパ人がレッドブラフ地域を訪れたと記録されたのは1821年のルイス・アントニオ・アルヘロの探検隊が初めてだった。1828年4月10日、ジェデディア・スミスがオレゴンに向かう途中でここを通過した。1843年、ピーター・ラッセン、ジョン・ビッドウェルおよびジョン・バーハイムが馬泥棒を追跡する過程でこの地に来た。ラッセンはその後メキシコの土地特許を申請した。現在のレッドブラフがある地域で最初の家屋は1849年後半にジョン・マイアーズが建てたアドベ(日干し煉瓦)小屋であり、マイアーズはそれを短期間ホテルとして運営した。翌年春クーパーがそこに小さなアドベ小屋を建て、A・M・ディブルがそこから1マイル (1.6 km) 北に別のアドベ製ホテルを建てた。このアドベはウィリアム・B・アイドに関連付けられているがこれは間違いで、その家屋はレッドブラフの南にあった。1850年、サシェル・ウッズとチャールズ・L・ウィルソンがレオドシアと呼ぶ町の配置を決め始めたときに町としての歴史が始まった。1854年まではレオドシア、さらにコバーツバーグと呼ばれていたが、この年作られた地図にはレッドブラフという名前が記された。 1851年、現在リーズ・クリークと呼ばれるクリークがサクラメント川に入る所近くにエルブリッジ・G・リードがホテルを建てて経営を始め、その後の時代に大きな成功を収めた。レッドブラフは航行可能な川の最高点にあったので、間もなく繁栄を始め、北部の鉱山で鉱業が盛況を極めた初期には大きな出発点となる町になり、大量の輸送貨物が扱われ、荷馬車隊が動いた。その後鉱山での活動が落ち目になるとともに町は衰退したが、1870年代初期に鉄道が敷かれて復活した。1854年のレッドブラフの人口は1,000人であり、1860年にはそれが約2倍になった。1856年にテハマ郡が創設され、テハマの町に郡庁所在地を持っていこうという強力な動きがあったが、1857年3月にレッドブラフが郡庁所在地に選ばれた。 レッドブラフは1876年に市制を布いた。 地理レッドブラフは北緯40度10分36秒 西経122度14分17秒 / 北緯40.17667度 西経122.23806度に位置する[2]。アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は7.6平方マイル (19.6 km2)であり、このうち陸地は7.4平方マイル (19.2 km2)、水域は0.1平方マイル (0.3 km2)で水域率は1.59%である。 気候レッドブラフの気候は雨の多い冬と暑く乾燥した夏が特徴である。1月の平均最高気温は 12.6℃、最低気温は2.8℃である。7月の平均最高気温は36.6℃、最低気温は18.7℃である。年間平均で32℃以上になるのが100.1日、0℃以下になるのが21.5日ある。過去最高気温は1981年8月7日の49.4℃、最低気温は1937年1月9日の-8.3℃だった。年間平均降水量は590 mmであり、計測可能な降水日は平均して年間71日ある。最も降水量の多かった年は1983年の1,346 mm、最も少なかった年は1976年の183 mmだった。1ヶ月間の降水量が最も多かったのは1995年1月の545 mm、24時間雨量で最も多かったのは1995年1月8日の90 mmだった。降雪量は年平均5.3 cmである。最も降雪量が多かったのは1972年の40 cmだった。1ヶ月間の降雪量が最も多かったのは1937年1月の38 cmだった[3]。 人口動態以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
行事
メディア
著名な出身者と住人
脚注
外部リンク
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