レット・イット・ブリード
『レット・イット・ブリード』(Let It Bleed)は、1969年にリリースされたローリング・ストーンズのオリジナル・アルバム。プロデューサーはジミー・ミラー、レコーディングエンジニアはグリン・ジョンズ。全英1位[2]、全米3位[3]を記録。 解説前作『ベガーズ・バンケット』と共に彼らの最良のアルバムと称賛され、ロック・アルバムの古典の一つと見なされる。本作タイトル『レット・イット・ブリード』は、しばしばビートルズの『レット・イット・ビー』のパロディだとされるが、それは正確ではない(『レット・イット・ビー』のリリースは1970年5月)。本作の制作中にブライアン・ジョーンズが脱退。その直後、後任ギタリストのミック・テイラーが加入。本作はジョーンズが参加した最後のアルバムであると共に、ジョーンズとテイラーが参加した曲が同時に収められた唯一のオリジナル・アルバムでもある。 本作の収録曲でジョーンズがギターを弾いた曲は1つもなく、またテイラーが参加したのは「カントリー・ホンク」と「リヴ・ウィズ・ミー」の2曲のみで、本作で聴けるギターは大半がキース・リチャーズによるものである。また、初めてリチャーズが単独でリード・ボーカルを担当した曲(「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」)も収録されている。本作に収められた楽曲は、歌詞の内容が戦争、レイプ、殺人、麻薬中毒といった荒涼としたものとなっているが、これについてミック・ジャガーは1995年のインタビューで「当時はすごく暴力的で荒々しい時代だったからね…ベトナム戦争だよ。テレビでもその映像がたくさん映し出されてたしね」と説明している[4]。 ジャケットのケーキは、著名な料理家であるデリア・スミスが制作した。レコードの内袋に各クレジットが記載されており、ステレオ盤は青、モノラル盤は赤で印刷されていた。ストーンズのスタジオアルバムでモノラル盤が製作されるのは、本作が最後となった。クレジットには「このレコードは大音量で再生すべし(THIS RECORD SHOULD BE PLAYED LOUD)」というメッセージが大きく入れられている。 経緯本作の制作は1968年11月、ロンドン、オリンピック・スタジオでの「無情の世界」の録音から始まった[5]。この間、ジョーンズの最後のステージとなった「ロックンロール・サーカス」をはさみ、翌1969年2月から6月にかけて再びオリンピック・スタジオで録音を行った。だがこの頃になるとジョーンズはレコーディングに参加する事自体がほとんどなくなっていた[6]。本作に収録されたジョーンズが参加した曲は2曲のみで、その2曲とも重要なパートは任されていない。またこの間の5月28日に、ジャガーと恋人のマリアンヌ・フェイスフルが麻薬所持により逮捕されるという出来事もあった[7]。 ジョーンズはこの年の5月にメンバーにストーンズ脱退の意向を打ち明けており、グループは話し合いの末、ジョン・メイオールから推薦された当時20歳のミック・テイラーを招聘し、レコーディングを続行した[8]。6月8日にジョーンズはストーンズを正式に脱退、その直後の7月3日に自宅のプールで溺死した。その後、ジョーンズの追悼ライブとなったハイドパーク・コンサートやジャガーの主演映画『太陽の果てに青春を』の撮影を挟んで、10月に再びハリウッドのワーナー・ブラザース・スタジオでレコーディングを行い、27日までに完成させた。一連のセッションでは、マリアンヌ・フェイスフルに提供した「シスター・モーフィン」(『スティッキー・フィンガーズ』収録)、また「ラヴィング・カップ」、「オール・ダウン・ザ・ライン」(共に1972年のアルバム『メイン・ストリートのならず者』収録)の初期バージョン、そして「ジャイビング・シスター・ファニー」、「アイム・ゴーイング・ダウン」、「アイ・ドント・ノウ・ホワイ」(スティーヴィー・ワンダーのカバー)、「ダウンタウン・スージー」(ビル・ワイマン作)(いずれも1975年の編集盤『メタモーフォシス』収録)も録音された。本作のレコーディングの間に、ジャガー、ワイマン、チャーリー・ワッツは、本作にゲスト参加したニッキー・ホプキンスやライ・クーダーと共にジャム・セッションを行っており、1972年にはその時の演奏を収録したアルバム『ジャミング・ウィズ・エドワード』が発売されている[9]。 本作のリリースに伴い、グループとして2年ぶりの、そして6回目となる北米ツアーが1969年11月7日のコロラド州フォート・コリンズ公演から開始された[10]。本ツアーの最終公演、12月6日のカリフォルニア州オルタモント・スピードウェイでのフリーコンサートで、会場警備を担当したヘルズ・エンジェルスの手により、黒人青年メレディス・ハンターが刺殺された(オルタモントの悲劇)。これらの映像は映画『ギミー・シェルター』で公開された。また、11月9日のカリフォルニア州オークランド・コロシアム公演は『Liver Than You'll Ever Be』というブートレグとしてリリースされ、これが彼らの初のブートレグとなる。このブートレグが、公式ライヴ盤『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』のリリースを早めたとされる[11]。 評価イギリスでは『アフターマス』以来3年ぶりに1位を獲得。アメリカでは3位とダブル・プラチナを獲得した[12]。セールス面のみならず各プレスからの評価も上々で、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌は「なんてすごいアルバムだろう」「各曲にバラエティがあり、何度でも聴き返したくなる」と賞賛している[13]。ジャガーやリチャーズも、気に入っているアルバムとして本作を挙げている[14][13]。 『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』(1979年 クイックフォックス社)の英米編では8位、日本編では4位にランクされ、「Q」マガジンのグレーティスト・アルバム読者投票(1998年)では69位、ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500(2020年版)では41位[15]、2003年にはTVネットワークのVH1がグレーティスト・アルバムで24位に選出した。 リイシュー2002年8月に、アブコ・レコードよりリマスターされた上で、SACDとのハイブリッドCDとしてデジパック仕様で再発された。2016年、デッカ時代のオリジナル・アルバムのモノラル版を復刻したボックス・セット『ザ・ローリング・ストーンズ MONO BOX』で、モノラル版が初めてCD化された[16]。 発表からちょうど50年となる2019年、最新リマスター版が「50周年記念エディション」として、ユニバーサルミュージックグループからリリースされた(リマスタリングはボブ・ラドウィック)。日本限定の2CDエディションは、オリジナル・ステレオ、モノラル・ミックスをそれぞれハイブリッドSACDに収録、さらに「ホンキー・トンク・ウィメン」の日本初回盤ジャケットを再現、UK盤にのみ付属していたポスター、日本初回盤LP帯、そして80ページのブックレットを付属している。さらに輸入盤のボックスセットには、2CDエディションのハイブリッドSACDに加え、LP盤2枚、そしてシングル「ホンキー・トンク・ウィメン」SP盤も付属し、2LP+2CD+SP盤の5枚組となっている。1枚組の通常CD、LP盤もそれぞれ発売[17]。 収録曲特筆無い限りジャガー/リチャーズ作詞・作曲。 SIDE A
SIDE B
参加ミュージシャン※アルバム記載のクレジットに準拠
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脚注注釈出典
外部リンク
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