レインボーアンバー
レインボーアンバー(欧字名:Rainbow Amber、1986年3月17日 - 没日不詳)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1989年の弥生賞。史上最高の重馬場巧者と呼ばれた[2]。 競走馬時代1988年11月に福島競馬場の新馬戦でデビューし、2戦連続2着ののち3戦目で初勝利を挙げる。4歳を迎えて中山競馬場の若竹賞4着を経て東京競馬場でのダートの条件戦で2勝目を挙げる。重賞初出走となった共同通信杯4歳ステークスでも5番人気でマイネルブレーブの2着に入る。続く弥生賞は不良馬場となり、道悪を苦にした大本命のサクラホクトオーが馬群に沈むのを尻目に、2着ワンダーナルビーに1秒7の差をつける大差勝ちする[3]。弥生賞後、左前の裂蹄のために皐月賞を直前で回避、東京優駿も出走を断念した。秋になって復帰し、京都新聞杯5着を叩いて挑んだ菊花賞ではバンブービギンの2着に入った。故障のためその後はレースに出走せず、結果的に菊花賞がラストランとなった[4][5]。 競走成績以下の内容は、JBISサーチ[5]およびnetkeiba.com[6]に基づく。
種牡馬時代現役引退後は種牡馬となったが配合相手には恵まれず、総種付頭数は5年の供用期間で35頭、生産頭数はそのうち26頭、そして血統登録された産駒数は、そこから1頭減の25頭であった[7]。JRAではツルギアンバー1頭しか勝ち馬を出せなかったが、ツルギアンバーはのちに地方競馬に転じて地方重賞2勝を挙げた[8]。母の父としては、初年度産駒の1頭レインボーファストの仔に兵庫ジュニアグランプリを制したエースインザレース(父ディアブロ)[4]、その半妹にあたるレーゲンボーゲン(父フレンチデピュティ)の産駒に2018年の天皇賞(春)優勝のレインボーライン、2010年のローズステークス優勝のアニメイトバイオが出ており[9]、今もなお血統表にその名を残している。 1996年1月に用途変更になり[10]、その後の詳しい消息は不明ながら、競走馬のふるさと案内所の記載によれば沙流郡日高町の前川義則牧場に、ブラックタキシードのものとともに墓碑がある[11]。 主な産駒ブルードメアサイアーとしての主な産駒
血統表
脚注注釈
出典
外部リンク |
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