ルーシー・ブラックマン事件
ルーシー・ブラックマン事件(ルーシー・ブラックマンじけん)とは、2000年7月に神奈川県三浦市でイギリス人女性ルーシー・ブラックマン (Lucie Blackman) が強姦されて死亡した事件。 事件の概要
経緯
裁判
犯人のプロフィール犯人は1952年、大阪府生まれ[2]で、在日韓国人の親を持つ[3]貸しビル会社社長[3]。貧しい移民[4]から不動産会社・駐車場・タクシー会社・パチンコ屋の経営者として成功した父を持ち、帝塚山の裕福な家庭で育った[2]。17歳のときに父を亡くし、2人の兄弟とともに莫大な遺産を相続した[5]。リチャード・ロイド・パリーは、貧しい移民から裕福になった家族のもとで甘やかされた経歴がこの犯罪に影響を与えた可能性を示唆するが、「同様の経歴を持つ人は多い」("But there are many people with similar backgrounds") ためこれだけでは犯行の原因は説明できないとする[6]。 慶應義塾高等学校入学とともに単身上京し、父親から与えられた田園調布の家政婦つきの一軒家で生活していた[7]。高校在学中、1969年頃からアルコールやクロロホルムや睡眠薬の使用による昏睡レイプを始め、1995年まで209人の女性に対する性的暴行をノートに記録していた[8]。1971年に韓国籍から日本国籍に帰化[9]。 高校卒業後、慶應義塾大学への内部推薦を辞退し、駒澤大学への在学を経て3年間アメリカ合衆国やスウェーデンに遊学した[10]。当時、カルロス・サンタナの知遇を得たと自称している[10]。1974年ごろに帰国し、慶應義塾大学法学部の法律学科と政治学科を卒業した[11]。 30代以降に家業の駐車場経営や不動産業で成功し、総資産が40億円に達した時期もあるが[12]、2000年に本事件で逮捕される前にはすでに事業で失敗していた。1999年には自宅を一時的に差し押さえられたほか[13]、逮捕されるまでの18ヶ月間に複数の所有物件の差し押さえを受けていた[14]。この間、1983年には前方の自動車に追突する交通事故を起こし、1998年には和歌山県白浜海岸で女子トイレの盗撮事件を起こしてそれぞれ罰金刑を受けていたほか、1998年以前にも同様の性犯罪による逮捕歴があった[15]。 民族的出自犯人は21歳まで韓国籍だったが、21歳のときに日本国籍を取得した[16]。有罪判決を受けたのが民族的な被差別マイノリティだったことについて、『黒い迷宮──ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』の著者リチャード・ロイド・パリーは不用意に出自と犯罪を結びつけることは「人種差別主義者と同じ」だと警告した上で、「日本のニュース機関というのは、どうも在日外国人などの出自の問題になると、非常に神経質になる部分もある」と指摘し、「在日韓国人であったことと、事件の犯人であるということは、すべて並列な事実の中の一つであって、その事実を読者に知らせるために、それぞれ述べることに関しては何の問題もありません」という考え方を示した[17]。パリーは「ただ、彼が日本という国で生まれ育った人間であることを考えると、その意味で日本にも何らかの原因はあるのではないか」[17]とも述べ、該当事件の捜査に関する日本警察の無能さとともに、犯人の出自に関する報道状況に関して「日本社会にはタブーがあるとも気がついた」とコメントした[4]。日本のテレビ報道では家族構成も含めて全てが謎の大富豪と逮捕後も報道され続け、民族的出自を初めて報じたのは起訴直前になっての雑誌報道だけであった[18]。 『Salon.com』のLaura Millerによれば、犯人が逮捕後も写真撮影を拒んだことなどについて、「民族的出自がコリアンだから反抗的行動をしているのだと日本人は非難した」("The Japanese blamed ... recalcitrant behavior on his Korean ethnicity")[19]。 被告人による訴訟2008年1月、まだ控訴審が始まる前には、受刑者(当時は被告人)が『マンガ 嫌韓流』の版元である晋遊舎と作者の山野車輪を提訴している[20]。理由は、
というもので、損害賠償請求額は5000万円、さらに『嫌韓流』第3巻p.187の当該記述を削除せよと求めていた[21][20]。山野は「2人を死亡させた」との記述については「単純ミス」と認めつつも、「当時すでに彼の社会的評価は最悪だったので、この記述によってさらに評価が低下したとはいえない」と反論[21]。また「有罪判決」が当時まだ一審判決に過ぎなかったことは広く報じられており、自明であると述べた[21]。「元在日」との記述については「ある人の国籍を述べることは名誉毀損なんですか? 彼は在日だったことが恥ずかしいのですか? 彼の考え方はおかしいですよ」と抗弁している[20]。 一審では山野側の代理人弁護士が「バックに組織がいるような気がする」「事務所に集団抗議や嫌がらせが来ないとも限らない」との理由で逃げてしまい、山野側は新しい弁護士を立てて争った[21]。 2008年9月18日、東京地裁で原告の主張が訴因2を除いて認められ、山野らは慰謝料80万円の支払いを命じられた(ただし削除の要求については却下)[21]。 2009年3月5日、東京高等裁判所は山野らに20万円の支払いを命じた[21]。東京高裁は、原告が元在日韓国人だったとの事実は2007年8月下旬当時広く知れ渡っていたとはいえず、山野の記述はプライバシー侵害にあたると認めつつ、重大事件で有罪判決を受けた者に関しては民族的出自を公表する利益が公表しない利益を上回ると判示した[21]。その後、原告は最高裁への上告を断念し、高裁判決が確定した[22]。この顛末は山野の著書『マンガ嫌韓流4』に描かれたが、山野は「印税の半分は○○○○(原文は実名)との裁判での費用に飛び、アシスタント経費などと合わせて、利益は全く上がっていません。ザル勘定でプラスマイナスゼロ。ただしこの裁判費用については、版元の方が多く負担してくれたことは記しておきたい」と述べている[22]。 このほか、受刑者(当時は被告人)は『週刊新潮』を名誉毀損で提訴したり、「霞っ子クラブ」のブログの記述に訂正を要求したりしている[20]。また『タイムズ』紙のリチャード・ロイド・パリーも名誉毀損で提訴されている[23]。訴えの内容は「被告人が拘置所で服を脱ぎ、独房の洗面台にしがみついて出廷を拒否したとの報道は事実無根」というもので、この時の損害賠償請求額は3000万円であった[24]。パリーは勝訴したものの、『タイムズ』紙は約1200万円の弁護士費用の負担を余儀なくされた[25]。被告人個人は2004年に238億円の負債を抱えて破産していたものの[14]、タクシー会社やパチンコ屋を経営する[26]家族が高額の裁判費用等を負担していた[27]。 被告人による自作自演の「冤罪」キャンペーン2006年、「真実究明班」名義で「ルーシー事件の真実」と称するウェブサイトが開設された[28]。翌2007年5月、「ルーシー事件真実究明班」名義で『ドキュメンタリー ルーシー事件の真実―近年この事件ほど事実と報道が違う事件はない』(以下『ドキュメンタリー ルーシー事件の真実』と略記)と題する本が飛鳥新社から刊行された。いずれも検察の立証の疑わしさを主張し、被告人(当時)の冤罪の可能性を訴える内容であった。 『ドキュメンタリー ルーシー事件の真実』p.31には「真実究明班は、ジャーナリスト、法科大学職員、元検事を含む法曹界会員などで構成されている」と記されていたが、この本の実態は被告人から委託された弁護士による自費出版物であり、飛鳥新社としては、被告人の命令と監督で作られた本と認識していた[29]。 2010年2月、飛鳥新社が被告人とその弁護士に対して民事訴訟を起こし、1314万6481円の未払金の支払を求めた[30]。訴状には、『ドキュメンタリー ルーシー事件の真実』が被告人の刑事事件を有利にするためのキャンペーン活動の一環として書籍の出版、広告等の業務委託が行われたものであること、被告らは、上記キャンペーン活動を中立性ある活動であるかのように装うために、同キャンペーンの担い手が第三者からなる特定の団体であるかのように装ったこと、『真実究明班』はもとより法人格を有する法人ではなく、権利能力なき社団に該当する程度の社団性もなく、その実体は、被告ら個人に過ぎないことが書かれていた[30]。 ウェブサイト「ルーシー事件の真相」には被害者の日記の一部や遺族の署名した書類、公判速記録などが裁判所の許可なく掲載されていた[29]。このため警視庁は立件を検討したが、ドメイン名がオーストラリア領クリスマス島のものであったのをウェブサイトのサーバーが日本国外と誤解したため捜査は行われなかった[29]。(実際にはこのサイトをホストしているのは京都の株式会社メディアウォーズ(代表取締役社長三上出)である。) 状況証拠以下の状況証拠をどう評価するかが焦点となった。
直接証拠に乏しいこの事件に対しては、2006年9月に被疑者の無罪を訴える内容のホームページが「真実究明班」名義で開設されており[31]、それらの主張は後に書籍としてまとめられている。「真実究明班」は、被疑者の行為は被害者と金銭において合意の上で行われたものであるとしているが、そのホームページには、裁判関係者でしか入手し得ないはずの資料も使用されている[31]。 刑事裁判第一審・東京地方裁判所
控訴審・東京高等裁判所
上告審・最高裁判所第一小法廷メディア2023年 - 『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』(ドキュメンタリー映画) 被害者の家族、捜査担当の警察官、ホステス時代の同僚など、広範囲な関係者のインタビューで構成される。外国人の犯罪被害者に対して日本の警察が冷淡なことが強調される作りになっている。英語字幕版もあり、世界公開されている。[39] 関連書籍
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参考文献
関連項目 |
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